kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

扱いにくい子?いいえ、どう扱ってもらったらいいかわからない子です

扱いにくい子?

 

発達障害を抱える子どもは、ちょくちょく「扱いにくい子」「困った子」と言われます。

じっとしていることができなかったり。

自分の思いを、うまく伝えられずに癇癪を起したり。

不安や恐怖でパニックになって、自分の行動を抑制できなかったり。

興奮しやすかったり。

 

端から見れば、それは困った子、扱いにくい子に見えることでしょう。

でも、それは本人がそうしようと思ってしているわけではなく。

本人たちにも、どうしようもないことなんですよね。

 

うまく扱ってもらえなくて困る

 

多数派から見れば、「扱いにくい」「困った子」ではありますが。

こちら側に言わせれば、「理解してもらえなくて、上手に扱ってもらえなくて、困っている子」なんです。

どうしたら、怒られずに済むのか。

どうしたら、自分の行動の理由を理解してもらえるのか。

多数派に属する子供たちは、それらを成長の過程で、上手に理解し獲得してゆくのでしょう。

 

時間がかかる、あるいは理解する方法が違う

 

もともとコミュニケーションや社会性にハンデのあるASDの子は、自らを表現する能力を獲得するのに、とても時間がかかります。

どんなふうに行動したら、みんなみたいに、怒られずに済むのか。

どう言えば、自分の行動の理由を理解してもらえるのか。

逆に言えば、どうしてみんなは、自分の説明する理由が理解できないのか。

とても、悩むわけです。

 

感覚のズレ

 

自分の行動の理由が、相手に理解してもらえない。

そこには、「感覚のズレ」が横たわっています。

しかし、自分の感覚が多数派の人間と違っていることなんて、本人には分かりません。

「感覚」というのは、自分にしかわからないものです。

他の人間の感覚を、体験することは不可能です。

だから、同じ家庭に生まれた兄弟でも、どうしてあの子は親に理解されているのに、自分の行動は理解されないんだろう、と悩むことになります。

自分だけ理不尽に怒られている、と思うようになります。

 

二次障害まっしぐら

 

理由は分からないけれど、自分ばかり怒られる。

きっと、自分が悪いんだろう。

一旦そう思うと、、もう自己否定まっしぐら。

自己肯定感は育たず、どんどん自己嫌悪に陥ります。

そして、二次障害に発展。

生きづらさが、二倍・三倍・四倍と膨れ上がっていきます。

 

発想の転換

 

扱いにくい子、困った子だと思う前に。

どうか、逆の発想をしてみてください。

相手の気持ちが読み取りにくいと言われるASD者ではない、多数派の人たちなら、相手の立場に立って物事を考えるということが、できるはずです。

 

どう人と関わっていいかわからないから、困っているんだ。

どう扱われればいいか、わからないから、困っているんだ。

困った子なのではなく、困っている子なんだ。

 

SOS

 

発達障害の人も、その人なりにSOSを出しています。

それは、多数派のSOSの信号とは、違うかもしれません。

でも、何らかの形で、SOSを発しています。

時には、それが周りを困らせる行動に見えるかもしれません。

 

必ず理由はある

 

自分が取った行動の理由を、理解してもらえないことほど、悲しいことはありません。

少数派でも、多数派と同じように、考えて、行動しています。

理由のない行動なんて、ありません。

理解があるに越したことはありませんが、理解するのは難しいかもしれません。

だから、理解まではいかなくても、どうか、誤解だけは、取り除いてください。

 

多数派には見えない世界を見ている、私からのメッセージです。