社会に出た引きこもり、再び引きこもる
異動
不安いっぱいで迎えた3月末。
やはり、私は異動してしまいました。
6年弱務めた職から離れ、内部事務の仕事になりました。
人事課の、来客対応のない部署へ、という配慮からでした。
しかし、これが仇となりました。
異動先には、時々言葉を変わす、再任用のおじさんがいることがわかりました。
それで少し不安が解消されました。
調整役だった上司も、異動先の課の知り合いの人に、「よろしく頼む」と言ってくれたそうで。
わざわざ、私をさがして会いに来てくれました。
環境の変化についていけずパニックに
そうして、4月1日。
私は、他の課へ、初めての事務仕事へ異動しました。
一日目。
これは、パニックになることが予想で来ていたので、何とか乗り切りました。
新しいことをいっぺんに覚えることになり、頭の中は嵐が吹き荒れ。
家に帰ってから、緊張と不安とパニックで号泣。
二日目。
前日の疲れを引きずったまま出勤し、また新しいことを沢山覚えなければなりませんでした。
この日も、帰ってからパニックで号泣。
三日目。
続けて出勤するのは、体力的にも精神的にも無理で。
お休みをもらいました。
人事課から、障害の話も通してもらっているので、すぐに許可が出ました。
四日目。
無理やり出勤しました。
書類はばらまくし、書類の整理はよくわからないし。
教えてもらった作業をしていて、行き詰った時、何がどうなってるのか把握しようとしている時間が、周りから見たら「わからないのに聞かない」ように見えるようで。
心配して、「分からんかったらすぐ聞いてよ」って声かけてくれてるのは、頭では分かっているんです。
そして、「ゆっくりでいいよ」って言ってもらうのも、嬉しいのですが。
ゆっくりしたいのは、「作業」ではなく、「理解」のほうなのです。
そんなこんなで、私は4日目ですでについていけなくなっていました。
土日を挟んで、五日目。
病院へ行くため、お休みをもらいました。
病院では、「異動による適応障害」と言われました。
「元の部署に戻るか、周りの対応をかえてもらって、環境を整えないと復帰してもまたおなじことになる」と。
私と先生は、休職することで合意。
退職についても、考えました。
休職、そして退職
六日目。
私は、上司に休職を申し出ました。
すぐ、人事課に連絡を取ってくれました。
そして、人事課に行きました。
担当の人に、A4用紙2枚分の説明を、渡し。
50分に渡り、話し合いが持たれました。
しかし、双方解決策はなく。
発達障害の人を受け入れたことがある課がない(気付かないだけで、必ずどこかに紛れ込んでる人はいると思うけど)、対応できる課がない、ということで、退職することになりました。
公的機関の人事課なので、A4の説明書きには、今後発達障害を抱える人の就職が増えてくると思う、その時のために、理解をお願いします、と書いておきました。
私たちの世代が切り開いていかないと、発達障害を抱える子どもたちが、社会に出られなくなってしまう。
そう思ったから。
異動前の課も、異動先の課も、みんなとてもいい人ばかりでした。
私に適応能力がなかったために、このような結果になってしまったことが、とても悔しくて。
異動前の持ち場を、離れたくなかった。
体調さえ、悪くなってなければ、離れる必要なんてなかった。
そう思うと、悔しくて悔しくて。
人には恵まれていた
でも、私がいかにメンバーに恵まれていたかがわかった。
本当に、いいメンバーだった。
異動しても、ずっとメンバーだって言ってくれる後輩。
メンバーだけの飲み会にも、毎回参加しろ!って言ってくれる全メンバー。
控室に遊びに来い!と言ってくれる全メンバー。
私は、幸せです。
こうして、社会復帰した引きこもりは、再び引きこもることになってしまいました。
でも。
今回は、暗い引きこもり生活ではありません。
私を支えてくれる人たちが、時々外へ出る機会を作ってくれます。
次の仕事のために身体を休めるべく、前向きに引きこもっています。
回復の兆しはなく、医師には「働くのは無理」と言われ、これから先のことについては、不安だらけですが。
何とか、ぼちぼち生きています。
前を見て
気分が落ちたり、急激に浮上したり、波に翻弄されていますが、少しずつ前進はしています。
この機会に、いろんなことに挑戦もしています。
たとえ働けなくても、私は私。
生きる価値がないことなんて、絶対にない。
無理やりにでもそう思い込んで、時々後ろを振り返りながらも、必死に前を見ています。