kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

引きこもり、再び社会に出る2

再就職後の経過

 

それから1年半。

私たち二人は、得意分野で協力し合いながら、リーダーを務めました。

その間に、同い年のその子は、結婚して、妊娠しました。

そして、出産3か月前に、退職しました。

メンバー7人が、赤ちゃんの誕生を心待ちにしていました。

 

リーダーとして

 

そのころには、非常勤の後輩ができていました。

しかし、私より3つ年下。

その子以外に、非常勤はいません。

ここから、私が一人でリーダーを務めることになりました。

 

環境整備や、上司との交渉、すべて一人ですることになりました。

一部は、他の人に手伝ってもらうこともできたでしょう。

でも、私は人を頼るということを知りませんでした。

実をいうと、「甘える」ということも、よく分からないのです。

仕事は、基本的に一人で片づけてしまいます。

特に、このメンバーは、パソコンに疎い人が多く、私が作業するのが一番早かったからです。

 

しばらくは、なんとかうまく回していました。

しかし、異動してきた上司が、なかなか話の伝わらない人で。

悪い人ではないんです。

とても正義感のある人で。

ただ少し、手を抜きすぎたり、更に上の上司の意見を聞かず、勝手に判断してしまったりする人で。

その上、私はもともと話し言葉が苦手で。

いろいろと交渉することが、負担になってきました。

どうしても伝わらないときは、私が配属された時から知っている、他の上司が援護してくれたりして、何とかなっていました。

 

そんなストレスがだんだん積み重なり、私は精神科へ行きました。

(この辺りは、「発達障害の診断」に書いています)

 

再びの適応障害

 

その上司との間に立って調整役を果たしてくれていた、上司が異動になり。

間に立ってくれる人が、いなくなりました。

その4月中旬頃、私は急激に痩せ始めました。

 

6月の健康診断時に、前年から5キロ減っていました。

そこから、どんどん体重は減り。

最終的には、16キロ落ちました。

 

8月。

私は、完全にうつ状態に陥りました。

体力がついてこなくなりました。

それまで通っていた、雅楽会の練習にも、行けなくなりました。

病院では、抗うつ剤を処方してもらいました。

 

10月。

頭が回りすぎて、アイデアが止まらなくなったり。

異様に落ち込んで動けなくなったり、を繰り返すようになりました。

 

11月。

あまりにおかしいので、気分の浮き沈みを、簡単なグラフにして病院の先生に見せました。

双極性障害躁鬱病)Ⅱ型ではないか、と言われました。

気分安定剤のラミクタールが処方されました。

 

12月。

体力的には、もう限界でした。

精神的にも、ボロボロでした。

でも、職場は嫌いではありません。

むしろ、メンバーといるのが楽しかった。

この月は、気力で乗り切りました。

 

1月。

どんどん調子が悪くなっていきました。

それでも、気力だけで毎日仕事に行っていました。

 

2月。

検査で、てんかんの可能性が指摘されました。

体調が悪いのは、てんかんの影響かもしれない、と治療が始まりました。

このころには、気力だけではどうにもならず、週に2日休みをもらうようになっていました。

また、出勤した日も、途中で少し長めに休憩を取らせてもらったり、メンバーにはずいぶん迷惑をかけました。

 

3月。

2月と変わらず、無理やり出勤しては休むような状態でした。

この時期はめちゃくちゃ忙しく。

長期の療養休暇を申請しようと思いましたが、非常勤にはメンタル面での療養休暇の制度はありませんでした。

有休を利用して1カ月休むしか手はない、と言われ。

その問い合わせを上司にしてもらっていたため、人事課に呼び出されました。

 

人事課との面談で、異動する可能性が高くなりました。

異動の発表がある3月末まで、すごく不安な気持ちで過ごすことになってしまいました。