小学6年生
6年生になった
私は、転校した学校で、6年生になりました。
この学校は人数が少なく、各学年2クラスしかありませんでした。
あまり良いクラスではなかった
クラスでは、一人の女の子が仲間外れにされていました。
その理由が、しばらくして私にもわかりました。
多分、その子も発達障害だったのだと思います。
お勉強も全体的にできていなかったので、知的にもギリギリだったのではないか、と。
(あくまで私の勝手な推測です)
元中学校教師で、小学校の高学年を受け持っていた先生は、あまりうまくクラスをまとめられていなかったように思います。
少なくとも、前の学校ではこのような先生はいませんでした。
県をまたいでの転校で、新しい県では日教組が強いらしく。
大阪の先生たちとは、雰囲気が全く違いました。
人間関係に困り始めた
5年生の3学期から転入して、仲の良い友達が2人できました。
1人は、発育がよく、体形ももうお姉さんでした(こちらをSちゃんとします)。
もう一人は、私と同じくらいで、少しだけわがままなところがありました(こちらはMちゃんとします)。
その二人は、もともと仲良しでした。
6年生になったある日。
二人と帰っていたところ。
Mちゃんが突然、Sちゃんに聞きました。
「Sちゃん、○○ちゃん(わたしのこと)と私と、どっちの方が好きなん?」
Sちゃんは、ちょっと困りながら、「どっちかっていうと、○○ちゃん(わたしのこと)」と言いました。
それを聞いたMちゃんは、怒って一人で走って帰ってしまいました。
私は、なぜMちゃんが怒ったのか、分かりませんでした。
そして、Sちゃんとはそこから道が別れるので、バイバイして帰りました。
家に帰った私は、母にそのことを話しました。
「なんでMちゃん怒ったん?」と、私は母に聞きました。
「先にMちゃんとSちゃんが友達やったからやん。」と母は言いました。
私は、全く意味が分かりませんでした。
「なんで?」を何度か繰り返しましたが、理解できなかったのでもう聞くのはやめました。
今は、その理由がちゃんとわかります。
元々、仲良しだった二人の間に、私が割って入ってしまったからなんですよね。
そして、Sちゃんが、後から来た私を選んだから、Mちゃんは「自分のほうが先に友達だったのに!」って、怒ったんですよね。
でも、当時の私には、それが分かりませんでした。
友達だった時間の長さなんて、関係ないと思っていました。
私には、「今」しか見えていませんでした。
他人の立場や、過去まで、見ることはできませんでした。
自分のことでさえ、「今」しか見えていなかったんですから。
私の中の時間軸には、「過去」と「未来」はまだなかったんです。
それでも、Mちゃんは次の日には謝ってくれました。
修学旅行
6年生では、修学旅行にも行きました。
行先は、奈良・京都でした。
バスで、清水寺や、平等院、東大寺など、有名どころへ行きました。
泊まったのは、京都市役所の向かいにある、本能寺会館というホテルでした。
その時はもう、歴史に興味を持っていましたから、「信長が死んだ場所」ということも分かっていました。
だから、本能寺会館で信長の幽霊が出ないか、少し期待していました(笑)
後々、私は京都に住むことになり、このあたりもよくうろうろすることになります。
そして、ごちゃごちゃした学校生活ながらも、なんとか無事6年生を終了し。
大雨の中、卒業式も、終えました。
コンプレックス
当時、プリクラが流行りだしたころだったこともあり。
写真写りの悪い私は、自分の顔にコンプレックスを抱いていました。
卒業式で、後輩たちへのメッセージを読んだり、歌ったりするときは後ろを向きます。
そうすると、私は名前の順で後ろの方だったので、最後列に座っていますから、後輩たちと顔を見合わせることになります。
その時に、顔を上げられませんでした。
いまなら、「誰もそこまで見てないって」と思うんですが。
当時は、すごく嫌でした。
うまく笑顔を作れない
それからも、写真写りが悪いことは続き。
最近です、どうすればきれいに撮ってもらえるのか分かったのは。
原因は、「うまく笑顔を作れない」ことだったのです。
鏡を見て、ずいぶん練習しました。
証明写真機は、自分の表情が自分で見えるので、綺麗に撮れることもわかりました。
要は、自分の目で確かめないと、顔の表情も作れなかったということでした。
普段は気にせずに笑ったりもしますが、写真だけは今でも苦手です…。
小学校を卒業した私は、思春期まっただ中な中学生活を迎えることになります。