kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

小学2年生のころ

2年生になって

 

私は無事、2年生になりました。

本当は、担任が持ち上がりなのですが、先生が転勤のため、変わりました。

クラスのメンバーはそのままでした。

 

新しく来た先生は、前の先生よりももっとベテランの先生でした。

40代後半だったのかなぁと思います。

当時、年配の女性の先生には珍しく、未婚の先生でした。

 

指導力抜群の先生

 

この先生の指導方法は素晴らしいものでした。

子どもの目線で授業を組み立てていました。

 

一番際立っていたのは、掛け算の授業でした。

はじめて九九を習ったのは、授業参観の時でした。

普通は、九九って1の段から習いますよね?

でも、この先生は違いました。

授業参観日に、保護者のいるところで、

「九九は大事です。3年生で習う割り算ができるかできないかは、九九にかかっています。九九は7の段から教えます。7の段が一番難しいからです。これさえできれば、あとはすぐ覚えられます。」

と宣言しました。

そして、画用紙で作った、大きな七星てんとう虫(黒い点はちゃんと7つ書いてあります)を黒板に貼り。

そのてんとう虫を使って、7の段を説明してくれました。

 

視覚支援を行っていた

 

これは、所謂「視覚支援」に当たるものですよね。

自閉っ子には特に有効で、健常児にも有効なものです。

当時まだ、視覚支援なんて言葉もない時代です。

それでも、この先生は、視覚的に教えることが、年齢の低い子にとってわかりやすいことを、知っていたのです。

このおかげで、私は九九で躓くことはありませんでした。

そして、3年生で割り算に悩まされることもありませんでした。

 

ご褒美

 

九九の段を一つ覚えるごとに、テストがありました。

そして、そのテストを全部クリアすると、プラ板がもらえました。

それに自由に絵を描き、先生が焼いてキーホルダにしてくれました。

このご褒美欲しさに、私は頑張ることが出来ました。

 

この先生は、何かテストをするたびに(ハーモニカのテストとか、国語の教科書の暗唱とか)、ご褒美としてプラ板をくれました。

 

劇でパニック!

 

後期の授業参観日のことです。

私たちは、それまでに、国語であの有名な「スイミー」を習いました。

先生は、それを私たちに暗唱させました。

そして、それを劇にして、授業参観日で発表しました。

まず、スイミー役を一人でするのは大変なので、何人か決めました。

そして、みんな、画用紙に一人一つずつ赤い魚の絵を描きました。

スイミー役をする子は、黒いスイミーの絵も描きました。

 

そのあと、他の配役も決めていきました。

ブルドーザーみたいな伊勢海老とか。

漂ってるくらげとか。

私は、セリフのないクラゲに立候補しました。

セリフがなく人気がなかったので、すぐに決まりました。

この時、もうひとりクラゲ役の子がいましたが、その子は、幼稚園の時に私の頭を叩いたあの子でした。

発達障害・乳幼児期を参照)

 

クラゲ役は、透明のビニール傘に飾りつけをして、紙テープを傘の周りにつけ、クラゲのように作りました。

みんながセリフ合わせをしている間も、ずっと工作していました。

その作業はとっても楽しかったです。

私は、工作がとても好きでしたから。

 

ところが。

先生が、クラゲはセリフがないから、そのかわりに自分たちでダンスの振り付けを考えなさい、と言ったのです。

私は、とても困りました。

自由に決めていいと言われても、どうしていいのかわからずパニックになってしまいました。

結局、どうしていいかわからない私は、もう一人の子がいろいろ考えてくれたことに、すべて従いました。

最終的には、先生がチェックし、動きを足してくれたりして、それを覚えました。

 

そして、本番。

発表は、工作室で行われました。

先生が、始まる前にトイレに行きたい人は行っておきなさいと言ったので。

数名がトイレに行きました。

私も行きました。

個室から出ようとすると。

ドアが、開きません!!

校舎が古く、立てつけが悪くなっていたのです。

何とかして開けようと、必死でガタガタと揺すりました。

その間に、みんな工作室へ戻ってしまいました。

 

私は、「どうしよう、遅れたら怒られる!」とパニックで泣き叫びそうになりながら、思いっきりドアを引っ張りました。

何とか開けることができ、ギリギリ授業参観に間に合いました。

それ以来、トイレは結構不安な場所です(笑)

 

本番は、何事もなく無事に終わりました。

クラゲダンスも、うまくできました。

最後の、赤い魚が集まって、スイミーが目になるシーンも、うまくいきました。


人間関係はまだまだ

 

小学校2年生で、いろいろなことを勉強し、覚えました。

このころも、友達という友達はいませんでしたが、一人、年の離れた兄弟の末っ子の、凄くマイペースな子とは、一緒に下校したりしていました。

そして、面白くて誰とでも仲良くできる男の子がいて、その子のことも覚えています。

割と、私の好みの子で、クラス替えをしても、5年生までずっと同じクラスでした