kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

小学1年生・授業での困りごと

授業での困りごと

1年生の一年間は順調に過ぎましたが。

算数、特に二桁の足し算が苦手でした。

 

暗算ができない

 

授業参観日のことです。

先生は、大きな模造紙に足し算の問題を書いて、黒板に張り出しました。

そして、クラスを4つのグループに分け。

時間を決めて、それぞれ、順番に答えを書かせました。

時間が決まっているので、私は焦りました。

自分の番が回ってくるまでにも、考えていましたが、すでにパニック状態に陥っていたので、計算ができませんでした。

自分の番が来ました。

焦って、さらにパニックに陥りました。

そして、自分でも訳が分からないまま、適当な数字を書いて戻りました。

他の子は、ほとんどの子が正解していました。

私のグループでは、私だけが間違えました。

私は、泣きそうでした。

 

家に帰っても、なぜ簡単な計算を間違えるのか、母に聞かれました。

なぜといわれても、困ります。

私だって、ちゃんと計算したいのです。

でも、どうしてもわかりませんでした。

 

文章題がわからない

 

他にも、算数の文章題のテストがあったとき。

「リンゴが○個あります。ミカンが○個あります。ぜんぶでいくつですか。」

といった、単純な問題です。

それでも、私は100点満点中20点しか取れませんでした。

これは、母に怒られました。

そして、やり直しをさせられました。

それでも、何度やっても、答えが合いません。

母も教えてくれました。

実際に、リンゴの個数を書いて、ミカンの個数も書いて。

そうしてもらえれば、答えられるのです。

でも、文章だけになった途端に、何を聞かれているのかも分からなくなります。

 

その時は、泣きながら何時間もかかって全部やり直し、先生に提出しました。

それ以来、私は算数が嫌いになりました。

 

読める・書けることと理解することは別物

 

母が後々、こんなことを言っていました。

「先生が、国語はすべての教科の基礎だ。文章の意味が分からなければ、どの問題も解けない。と言っていた」と。

そう、いまから思えば、私は「言葉・文章」を理解できていなかったのです。

文字は、読めました。

だから、周りは私が「理解している」と思っていたのだと思います。

でも、「読める・書ける」と、「理解している」は別物です。

 

実際に、国語のテストの自由記述式の部分の答えが、合ったためしがありません。

高校生になっても、現代文のテストで、問われていることの意味が分かりませんでした。