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kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、てんかん、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

小学1年生のときの困りごと

  小学校1年生のころのこと

 

 

幼稚園を卒業して、私は小学校に入学しました。

幼稚園のすぐ向かい側に小学校がありました。

幼稚園の頃から、一年生になったらあの建物へ行くんだよと言われていたので、場所への不安はありませんでした。

幼稚園のメンバーも、ほとんどが同じ学校へ行くので、あまり変わり映えしませんでした。

 

入学式

 

私は、体育館に置かれた折りたたみ椅子に、座りました。

クラスの人数が奇数で、4人ずつ横に並んでたのですが、名前の順で一番最後だった私は、一人列からはみ出してしまい、一人で座ることになってしまいました。

隣りに誰もいなかったので、却ってよかったかもしれません(笑)

椅子が大きすぎるので、私は式の間中、足をぶらぶらさせていました。

何をしているのかよくわからず、暇だったからです。

後で、「なんでちゃんと座っていなかったの!」と母におこられました。

 

式の後は、教室に移動しました。

私は1年1組で、担任の先生は学年主任の、ベテランの先生でした。

全部で、4クラスありました。

自分の名前が書いてある机に座りました。

机に名前を貼っておいてくれたので、後々の学校生活で助かりました。

私は、自分の席がどこだかわからなくなるのです…。

 

机には、教科書やお道具箱が積み上げられていました。

ランドセルは、後ろのロッカーにいれました。

そこにも名前が貼ってありました。

一つのロッカーを、二人の児童で使います。

 

先生が前でなにやらいろいろと話し。

教科書が全部あるか、教材が全部あるか、チェックしました。

算数用のタイルの教材も、チェックしました。

 

そのあとは、明日から元気に登校しましょうとかなんとか言われて、解散になったと思います。

こうして、私の小学校生活が始まりました。

 

学校生活

 

最初は、身体測定があったり、学校探検をしたりして、お勉強はほとんどありませんでした。

学校探検は、みんなで名前の順に、男女1列ずつの2列に並んで、先生の後を歩いていきました。

トイレや、給食室、牛乳を取りに行く場所、図書室、保健室、体育館、運動場など、いろいろ見て歩きました。

 

そうして、少しずつ「学校」という場所を理解し、生活に慣れていきました。

幼稚園のように、「おやつ」がないことも分かりました(笑)

慣れたころ、お勉強が始まりました。

あいうえお50音を習ったり。

数字を習ったりしました。

このころは、ちゃんとお勉強にはついていけていました。

 

給食という大問題

 

そして、給食も始まりました。

給食当番が、班ごとに週替わりで回ってきます。

小のおかずはボールに入っていて、一人で運んでみんなに配り。

大のおかずは、バケツに入っていて、二人で運びました。

ごはんやパンは二人で運び。

牛乳も、二人で運びました。

牛乳は、牛乳瓶に入っていたので、二人で運んでも、メチャクチャ重かった。

エプロンも、自分でつけなくてはなりません。

後ろでちょうちょ結びをするタイプでした。

後ろにある紐を結ぶのは、私には難しいことでした。

そのため、エプロンをつけるのも手間取り、せかされました。

私にとっては、すごくつらい当番でした。

弟の入学の頃には、1年・2年生のエプロンは、結ばなくていいタイプに変わりました。

 

そして。

食べ物の好き嫌いはあまりなかったのですが。

もともと小食の私には、給食は量が多すぎました。

赤ちゃんの頃からミルクをあまり飲まず、その後もご飯を少量しか食べてこなかったのです。

給食は、「残してはいけない」と指導される、苦痛の場でした。

牛乳の量は200mlと多く、とても飲みきれませんでした。

1年生から6年生まで、全員が200ml飲むなんて、無理な話です。

 

私は、母に牛乳が全部飲めなくて困ると言いました。

母は「先生に全部は飲めないと言いなさい」、と言いましたが、気の弱い私はそんなこと、言えませんでした。

そして、飲めないから一本まるまる、牛乳箱へ返すようになりました。

これは、多分母に言われてそうしたのだと思います。

そのあと、家庭訪問の時に、母が先生に相談しました。

それからは、半分でもいいからとりあえず飲もう、どうしても飲めなかったら、残してもいいということになり。

少しずつ、飲める量も増えていきました。

好き嫌いで言っているのではないので、許されたのかもしれません。

 

とにかく、学校での一番の困りごとは、給食の量が多いことでした。


お友達との関係

 

1年生のとき、特に決まった友達もなく、適当に誰かにまじって遊んでいたと思います。

仲良しの子は、いませんでした。

 

ある日、下駄箱によじ登って遊んでいる女子数名と一緒に、私も下駄箱に登って遊んでいました。

他の子が、「先生きた!」といって、みんなはさっと下駄箱から離れました。

下駄箱に登ることは、禁止されていたからです。

どんくさかった私は、下駄箱に取り残されてしまいました。

そして、あわてて降りた拍子に、木製の下駄箱で手をすりむきました。

それが、先生に見つかってしまいました。

先生はみんなに一言、「下駄箱に登ったらあかんって言ったやろう?」と言っただけでした。

そのあと、先生はけがをした私を、保健室に連れて行きました。

その時、「だから(怪我をするから)登ったらあかんって言ったやろう?アホやなぁ。」といいました。

「アホ」は大阪では、そんなにキツイ意味ではありませんが、私は傷つきました。

【他の子も登っていたのに、なぜ私だけがアホって言われるのか】

多分、そう思ったんだと思います。

その時は、そこまで分析できる力はありませんでした。

ふとした言葉で、こどもは傷つきます。

気を付けたいものです。

 

どろんこ遊び

 

ある天気のいい日、一度だけ、先生は校庭の砂場で、泥んこ遊びをさせてくれました。

先生が、校舎から長いホースを引っ張ってきて、水をまきました。

みんな、大喜びで遊びました。

すごく楽しかった記憶があります。


得意だったこと

 

1年生では、ハーモニカを習いました。

幼稚園の時に、吹けばいいだけの、「ド・ミ・ソ」だけは習っていたので、そんなに苦労はしませんでした。

今度は、吸って音を出す音を習いました。

すでに絶対音感を身に付けていたので、難なくクリアしました。

 

そして、新1年生を迎えるための出し物をする時には、ハーモニカ組に入りました。

毎年、新1年生を、新2年生が迎えます。

 

1年生が終わった時。

幼馴染の男の子が一人、転校していきました。


顔と名前が一致しない

 

私は今でもそうですが、人の名前と顔を一致させるのに、非常に時間がかかります。

1年間同じクラスだった子の名前も、ほとんど覚えられませんでした。

というより、覚える気もなかったのかもしれません。

 

こんな感じの、1年生でした。