ストラテラの増量、正解(メンタルクリニック通院)
今日は、メンタルクリニックの定期通院日でした。
比較的すいていて、1時間待ちだったんだけど、待ち時間に期日前投票と内科を済ませました。
朝から往復2キロくらい歩いたかなー。
いい運動だった(笑)
メンクリに戻ると、順番は次でした。
前回の診察で、ストラテラを10ミリから15ミリに増やしたのですが、とてもいい感じです。
体のそわそわ感も落ち着いているし、おなか一杯なのに何か口に入れたい衝動も落ち着いたし、何より思考の渋滞がずいぶんと解消されました。
主治医も、「ストラテラ増やしたのは正解だったね」と。
躊躇せずに、もっと早く増やしておけばよかった(;^_^A
最近、出かけることが多くて、少々疲れがたまっています。
ここ数日は眠くて仕方がありません。
季節柄、イベントごとも多いし、天気がいいと出かけたくなるのですが、それで結構ぐったりです(;^ω^)
主治医には「イベント事を重ねないように」って言われて、無理やり約束させられたけど、無理!
セーブができたらストラテラなんて飲んでませんって(笑)
まぁ、やたら出かけたくなるのは、今の時期だけだとは思うけど…。
暑くなったらでかける体力も気力もなくなるし、もうちょっとしたら落ち着いてくるのではないかと。
皮膚の過敏と疲れについて、Twitterでちょっと盛り上がっていたので、その話もしてきました。
皮膚の過敏は、間違いなく大いに疲労と関係があると思う、とのことでした。
主治医曰く、 「皮膚は人間最大の臓器」だからと。
確かに、表面だけじゃなくて、口から肛門まで内臓も皮膚組織だもんなぁ。
私の場合、聴覚過敏と視覚過敏に気を取られて、皮膚の過敏による疲労を忘れがちだけど、案外割合が大きいかもしれません。
他にも、薬のことやらなんやらいろいろ話しました。
そんなこんなで、診察は終了。
薬は3週間+1日分もらって、連休明けまでしのぎます。
それにしても、10連休は長い…。
病院が開いていないというのは地味にプレッシャーですよ。
体調崩せないんですもん。
まぁ、10連休はどこにも出かけず完全に引きこもる予定なので、何とかなるでしょう(;^_^A
薬の増量と血液検査の結果(神経内科)
朝から雨が降っていたので、早めに家を出たのですが、案外道が空いていてちょっと早く病院についてしまいました(;^_^A
しかし、そのおかげで順番は1番だったし、大病院にもかかわらず会計は3番だったので、9時10分には病院を出ることができました。
前回、リボトリールを0.3ミリ+0.1ミリと、0.3ミリを基本にして、発作が多いときのみ0.1ミリ足すことにしたのですが。
0.3ミリしか飲まないと、早速首のツッパリと腕のツッパリが戻ってきてしまいました。
なので、結局毎日0.4ミリ飲むことに…。
ただ、0.4ミリ飲んでいても、歩いている間に足が突っ張ってしまったり、昼夜関係なく首と腕が突っ張ったりするので、もう少し増量することになりました。
以前は昼間も猛烈に眠かったのですが、先日メンタルクリニックでストラテラを増量してから、頭がすっきりしていて眠気もマシになっています。
リボトリールを0.4ミリ飲んでいても、以前ほど眠くはないので、頑張って0.5ミリに挑戦してみることに。
ただ、もし眠くて飲めないと困るので、0.4ミリを基本にして、そこに0.1ミリを足して様子を見るようにしてもらいました。
これなら、いつでも0.4ミリに戻せます。
あと、前回のホルモン系の検査は、異常なしでした。
これはまぁ、予想通りと言いますかなんといいますか(;^_^A
夜中に何度もトイレで起きる、夜間多尿の症状(頻尿ではなく多尿)の原因はわからないまま…。
症状は間違いなくある(内科医が確認済み)のに、検査では数値として出てこないんですよねぇ。
アレルギーの検査もそうなんですけど、本当に不調なのに数値が出ないので、異常がないとされてしまいます。
体質が 宇宙人だから仕方ないのか、私の体が医学の限界に挑んでしまっているのか…。
検査結果が良好だったのはいいんですが、原因がわからないというのが本当に困ります。
「気のせい」で済まされてしまうんですよね、症状は本物なのに。
てんかんの検査の時もそうでした。
あやうく心因性のものにされそうになっていたのです。
脳波には異常はないんだけど、24時間カメラで録画していると、寝ている間にもはっきりと不随意運動の症状が出ていました。
それで、きちんと治療はすべきであることが判明したんですよね…。
数値に頼り切っているのもどうかと思うのですが、逆に数値に頼らざるを得ないのも現状なので仕方ないのでしょう。
まぁ、また内科医と相談しようと思います。
通院の後、書道教室に行ったのですが、そこで驚きの事実が発覚しました。
官房長官が掲げていた「令和」の文字を書いたのが、書道の先生のお友達だそうです!
なんてこった( ゚Д゚)
いろんなお話を聞かせてもらって、「令和」を書いた先生の作品を見せてもらいました。
すごいなぁ…。
あ、そうそう、私は10級ではなく、9級から始めることができました!
最低ランクではなく、一つ上の級から始められたのでとてもうれしいです!
とても楽しくなってきたので、ぼちぼち字も頑張ろうと思います( ´ ▽ ` )
ストラテラ増量
新元号が発表されましたね。
「令和」、とてもよい元号だと思います。
万葉集から取ったというのも、すてきだなぁと(#^^#)
今日は、メンタルクリニックの定期通院日でした。
朝から診察券を出しに行くと、そこそこ混んでいたのですが、割と早く終わる人が多かったようで、結果としては1時間半待ちで済みました。
最近、あまりにも頭がざわざわするし、おなかが空いているわけではない、むしろおなかは一杯なのにまだ何か食べようとしたり、落ち着かなかったりがひどいので、ストラテラの増量の相談をしました。
先生と話し合った結果、ストラテラを5ミリ追加して15ミリで様子を見ることに。
前回、5ミリから10ミリに増やしたのはいつだったかな…。
やっぱり一年ぐらい前だったかもしれない。
自分の体から魂が抜け出るような、自分の体が誰かほかの人のもののような感覚に陥ることについても、話しました。
自分の存在について考えだすと、なんというか、体から魂が抜け出るような、体と脳みその位置情報がずれるような、幽体離脱するような感覚に陥るのです。
「ここにいるのは誰?」「この体は誰のもの?」「私って何?」「見るもの
感じるものすべては幻覚なのでは?」という、妙な感覚に陥るのです。
魂のような、形のない「わたし」という何か気体のようなものが体から抜け出して、空気中に拡散して、薄まってしまう。
そんな感じです。
そんな感じになった瞬間に、「ダメだ壊れる!」と思って瞬間的に戻ってくるのですが、なんか嫌な感じなんですよね…。
それを先生に言うと、「あんまり考えると本当に壊れるので、考えないように」とのことでした。
脳みそと体がすぐにバラバラになろうとするということについて、主治医曰く、「身体と脳みそがバラバラなのは見てればわかる」と(;^ω^)
外から見てそんなにややこしいですか(笑)
薬の適性量を計算するにあたって、体重を言ったら主治医にびっくりされました。
だから言ってるじゃん、食べたくないのに刺激がほしいがためにたべてしまうんだって(-_-;)
この状態が、ストラテラ増量で治まればいいんですが…。
春という時期も時期だし、様子を見ながらぼちぼちやって生きましょうかね…。
生きる上で大事なこと(世界自閉症啓発デー&発達障害啓発週間によせて)
4月2日は、世界自閉症啓発デーです。
そして、今週は発達障害啓発週間でもあります。
はじめましての方も、いつもお世話になってますの方にも、今一度自己紹介をしようと思います。
自己紹介
私は、成人女性で、近畿地方在住です。
絵を描いたりピアノを弾いたり、書道教室に通ったりして楽しく過ごしています。
字が汚いので、書道教室に通って何とかしようと思っています。
時々、気の合う友達と遊んだり、飲みに行ったりしています。
ツイッターも大好きで、気の合う人と交流しています。
今はそこそこ充実した生活を送っていて、満足しています。
でも、これでいいやと思っているわけではなくて、やりたいことがたくさんあって、タイミングを見計らいながら挑戦しています。
もういい年ですが、夢も野望もあります。
以上、私の自己紹介ですが、どこにでもいる人間で、面白くもなんともないって思うことでしょう。
目を止めていただくこともないかと思います。
では、改めて、こんな風に自己紹介をしてみます。
もう一つの自己紹介
私は発達障害者で、自閉症スペクトラム障害(アスペルガー症候群)とADHDがあり、社会性が乏しくコミュニケーションが下手です。
うまく社会になじめないので、自分の出来る「絵を描くこと」を通して社会とつながろうとしています。
ピアノも自己表現の為、指の訓練の為ににしています。
書道は腕を思い通りに動かすためのリハビリも兼ねています。
時々、理解のある友達と遊びに行ったり、飲みに行ったりします。
今はそこそこ充実した生活を送っていて、満足しています。
でも、これでいいやと思っているわけではなくて、やりたいことがたくさんあって、障害ゆえにできないことも少しずつ挑戦しています。
障害や病気を抱えていますが、夢も野望もあります。
こう書くと、ぎょっとしたり、かわいそうだと思ったり、障害があるのに頑張ってるんだなって思ったり、障害者がなんだ偉そうにと思ったり、幸せだなんて嘘だろと思ったり、それでいいんじゃないかと思ったり、どうでもいいと思ったり、賛否両論、いろんな意見が出てくることでしょう。
いろんな意見があって、いいんです(考えるのは自由というのであって、それを口に出して言っていいとは言っていません)。
だって、人はみんなそれぞれ違う生き物だし、考えも違う。
何から何まで全く同じ人なんて、この世に一人もいないんですから。
「わたし」はあくまでも「わたし」
「障害者」というと、なんだか特別な人のように感じるかもしれません。
でも、同じ「人間」であることは変わらないのは「事実」です。
ともに生きるにあたって、最も根本的な、共通事項です。
ところが、上の自己紹介でお分かりいただけるかと思いますが、「障害」という言葉が入ったとたんに、認識は一変し、「障害者」というくくりでその人を見てしまうということが起こりがちです。
私も、一人の人間です。
最近太ったなーって悩んだり、絵の出来に一喜一憂したり、次はどんな絵を描こうかなって考えてる一人の人間です。
「これからきっといいことがある」という希望を抱いたり、「もうだめだ、やっぱりこんな世の中じゃ生きていけない」と絶望もする、一人の人間です。
得てして、人はいろんな人をカテゴライズしがちです。
例えば、「障害者」「女性」「男性」「日本人」といった具合に、ひとくくりにしてしまいがちです。
しかし、それは違うんじゃないかなって思ってます。
「障害者だから○○ができない」のではなく、「○○さんにはこういう障害特性があるから、○○が苦手」というのが適切だと思うのです。
「○○という障害だから純粋だ(天使だ)」とか、「○○という障害だから才能がある」というのも、不適切だと思っています。
純粋とか才能とかいうのは、障害に帰属するのではなく、個人に帰属するものだからです。
今回は自閉症啓発デー&発達障害啓発週間なので、発達障害を例にします。
自閉症や発達障害は、私の一部ではあるけれど、アイデンティティではない。
つまり、「自閉症」や「発達障害」である前に、私は私という一人の人間なのです。
自閉症だから、発達障害だから、私という個性があるのではなく。
私という個性の中に、自閉症・発達障害という障害が含まれているのです。
障害は、その人の一部ではあるけれど、その人全体を表すものでもないし、その人のアイデンティティでもないんです。
それは、障害者・健常者ともに同じことです。
健常者のアイデンティティも、「健常者」にあるのではありません。
みんな特別で、みんな特別じゃない
私は、私という存在を特別だとは思っていません。
なぜかというと、人は一人一人がみんな「特別な」人だからです。
誰一人として、特別じゃない人なんていません。
その人の代わりになる人なんて、いないんですから。
人はみな特別であり、自分だけが特別なわけじゃない。
少数派だけが特別で、多数派は特別じゃないなんてこともありません。
もちろん、障害者と健常者の関係においてもそれは同じです。
これ、大事なことなんですが、気づいていない人も結構いるように観察されます。
つまり、みんながそれぞれ特別で、みんながそれぞれ特別ではないのです。
もちろん、「自分は特別」という感覚も、大事です。
その感覚は、自分を肯定するために必要です。
ですが、それが行き過ぎると困ったことも起こってきます。
ですから、「自分は特別」ということと、「自分は特別でもなんでもない」ということのバランスが大事になります。
私は一人の人間として、ほかの人が代わることができない貴重な存在だけど、決して優遇されたり特別視されたり、ましてや見下されたりするような人間ではないのです。
自分が決めること
私は、一個人として、現在そこそこ幸せに生きています。
障害があるから不幸だとか言う人がいますが、そんなこと、他人が決めることじゃありません。
障害があるから幸せになっちゃいけないとか、そんな決まりは一切ありません。
私は幸せになっていいし、私の幸せはほかの誰かに決められるものでもありません。
私は、私の思う幸せを見つけていいし、私の思う幸せに向かって歩む権利を持っています。
障害者に限らず、「生きる価値」について語られることもありますが、そんなこと、他人が決めることではありません。
私にどんな価値があるかは、私が決めることです。
そして、生きる価値なんてそもそも、考えなくていいと思っています。
私は、ただここにこうして存在する。
その事実だけで充分ではありませんか。
誰かの為に生まれたわけでもないし、何かの為に生まれたわけでもありません。
私は私として生きているだけで、私は私の為に生きていい。
それだけで、充分ではありませんか。
だれにでもあてはまること
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
ここに書いたことは、決して私だけの話ではありませんし、一部の人のことでもありません。
そう、ここまで読んでくださったあなたにも当てはまることなのです。
つまり、これは障害について考えたときだけでなく、ごく一般的に、人として生きる上で大事なこと。
自身が自閉症スペクトラム障害・ADHDと診断されたことで、私は大事なことを考えることができました。
それぞれが自分を大切にして生きる上で、大事なことは何なのか。
障害の有無にかかわらず、一緒に考えていこうではありませんか。