kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

将来への不安

自分の将来像が描けない

 

ここ最近は、ちょっと熱中していることがあったり、絵を描いたりしていて、一日が短く感じるようになってきています。

それはそれで、充実しているということだと思うんですが。

それでもやっぱり、将来への不安は、ぬぐえません。

 

このままでいいんだろうか?

このまま活動していて、自立して生活していけるんだろうか?

今はまだいいとして、40代、50代になっても、このままの生活で行くの?

私は何歳まで生きるの?

などなど、どうしてもいろんな不安が沸き上がってきます。

 
発達障害の人は、「今を生きる」人で、将来をあまり考えないなんて言うけれど。

そんなことはない。

むしろ、普通に生活できている人以上に、将来に対して不安を抱えているし、悲観的だと思う。

というより、悲観的にならざるを得ない状況に置かれていると思う。

逆に言うと、将来のことを考えすぎて、「今を生きる」ことができないのかもしれない。

 

金銭的な不安定

障害年金は幸い、2級になりましたが、それで充分な生活ができるわけではありません。

絵は、売れるときと売れないときの差が激しいし、安定した収入とは言えない。 

収入が不安定なので、不安なのです。

金銭的な不安定は、情緒の不安定にもつながる。

 

社会復帰して、働くということは、金銭的な不安定さを解決する。

それによって、情緒の不安定さも解決される。

でも、社会に出たことによって、人との摩擦が増え、情緒が不安定になる。

 

社会で働くことも、こうして家で少しずつ稼ぐことも、どちらもメリット・デメリットがある。

社会に出て働かないのは、今の時点では、私には家で少しずつ稼ぐことのメリットの方が大きいというだけ。

 

てんかん自閉症スペクトラム障害ADHD、うつ。

そのどれか一つでも、なかったなら、もう少しましだったのかな…。

でも、どれか一つでも欠けたら、私が私でなくなる気もする。

 

久しぶりのマイナスな記事ですが。

たまには、いいよね。

マイナスな思考も、私の一部なんだから…(´・ω・`)

自殺を防ぐ力

時々思う

最近は、どん底まで落ち込むようなうつ転は減ってきて。

ずいぶんと、落ち着いています。

それでも、時々なんとなく「もう、死んでもいいんじゃないかな…」「もう嫌だ、消えたい」って思うことがあります。

行動にはうつしませんけど。

 

 思いが届くとき

それが、「絶対に自殺はできないな」と思う出来事がありました。

なにがあったのかというと。

今更ですが、私が信頼している人が、私のことを気にかけてくれていることが、はっきりとわかったのです。

今までは、私が一方的に信頼して、まとわりついているだけなのかな、と思っていました。

でも、どうやらそうではなさそう。

 

治療に関することで(相手は医療関係者)、私の今の状態を話すことになったときに、その人が私にかけてくれた「前向きに」という言葉。

最初は、言葉を額面通りに受け取っていました。

単に、一般論を言っているだけだと思っていました。

 

それが、1日半ほど経ったとき、「もしかして、あの言葉の裏には、ほかの意図があったのでは?」と思いました。

直接的に言われたわけではありませんが。

「自殺なんか、するなよ」

そういう意図が込められているように思ったのです。

 

あとから思い出してみると、とても優しい雰囲気をまとった言葉でした。

柔らかな、言葉でした。

言い切る自信ははいけど、私の勘違いではないはず…。

 

見守ってくれる人の存在

同じ言葉を言われても、たいしてかかわりのない人であったなら、「世間一般的なことを言ってるだけだ」としか思わなかったでしょう。

親に言われたら、「製造元なんだから責任とれよ」って反発してしまうかもしれません。

 

でも、親でもないのに、親身になってくれる人にそういわれたら。

(親身どころか、ある場面では「私の保護者?」って思うような出来事もありました・笑)

素直に、「あぁ、この人を悲しませることはできないな」と思えました。

 

私のことを、心配してくれる人がいる。

気にかけてくれている人に、生きている姿を見せる。

それだけで、生きてる価値があるのかな、と。

 

言葉や行動だけが、自殺予防になるんじゃなくて。

見守る気持ちや態度によっても、予防はできるもののなんじゃないかなって、思いました。

言葉や行動に表せるに越したことはありませんが。

表せなくても、気持ちがつわたるなら、どんな方法でもいいんじゃないかな、って。

 

 決意

私は、自殺しません。

死にたいと思っても、もう二度と行動にはうつしません。

約束します。

苦しくても、ぼちぼちなめなめ、なめくじの歩みで生きていきますよ(*´▽`*)

悲観脳の変え方

以前放送された、NHK「心と脳の白熱教室」の第4回目の講義の感想です。

3回目の講義は、「サイコパス」についての講義だったので、感想は省略しています。

 

遺伝か環境か

 

4回目のテーマは、「楽観脳・悲観脳は、遺伝的なものか?環境が要因か?」というものでした。

結論から言うと、両方がとても重要な要素だ、というのです。

 

うつや不安障害には、脳内物質のセロトニンが関係している、と言われています。

それに関わる重要な遺伝子が、「セロトニン運搬遺伝子」というものです。

その「セロトニン運搬遺伝子」には、長いものと短いものがあり。

長いタイプの遺伝子を持つ人は、ポジティブなものに反応しやすく、短いタイプの遺伝子を持つ人はネガティブなものに反応しやすいと言われています。

短いタイプの遺伝子を持つ人は、自動的に悲観的になり、うつになりやすい、と言われてきました。

 

調査研究

本当にそうなのか?

セロトニン運搬遺伝子とうつの関係について、ある大がかりな実験研究が行われました。

3歳の子ども数百人を集め、23年間追跡調査したのです。

遺伝子も検証し、毎年多くのテストを行い、ライフスタイルにつても調べました。

すると、遺伝子の長い短いだけでは、うつの発症リスクには有意差はなかったのです。

 

ただし。

短いタイプの遺伝子を持ち、深刻でネガティブな出来事(両親が離婚する、など)を3つ以上経験した人は、うつの発症リスクは大幅に高くなるという結果が出ました。

また、同じ状況であっても、長いタイプの遺伝子を持つ人は、リスクは高くならなかったのです。

 

このことから、うつになりやすい傾向(悲観的な脳)には、遺伝子と環境が相互に影響し合っていることが確認されました。


リスク遺伝子は本当にリスクか

ここで、「うつのリスク遺伝子は、本当にリスクなのか?」という話題になりました。

実は、リスク遺伝子は、柔軟性遺伝子というだけなのではないか、というのです。

柔軟性遺伝子とは、「よくも悪くなる遺伝子」ということです。

リスク遺伝子のあるひとは、良い環境では、より良い状態になる、というのです。

 

子どもの幸福度の観察研究について触れられました。

養育環境の良し悪しと、リスク遺伝子についての研究です。

短いタイプの遺伝子を持つ子でも、良い環境で育った子は、悲観的にならず、より幸福度が高かった、というのです。

 

このことから、リスク遺伝子は、リスクなのではなく、環境に対してより敏感に反応する遺伝子なのではないか?とのことでした。

そのため、短いタイプの遺伝子を持つ人は、比較的自分を変えやすい、というのです。

 

悲観脳の変え方

では、悲観的な人は、どうすれば自分を変えられるのか?

それは、注意バイアスを利用するのです。

(注意バイアスに関しては、第一回目の感想記事をご覧ください)

 

楽観的になりたいなら、ポジティブなことに注意を向けるよう、脳にクセをつけるのです。

遺伝子の短いタイプの人は、注意バイアスの訓練の結果が出やすいそうです。

 

また、「自分には、必ず支えてくれる人が、一人はいる」という状況が、楽観主義には必要なのだそうです。

困難な状況にある子供たち(虐待されている子など)にも、親でなくてもいいから、人生の中でたった一人でいい、信頼できる大人がいることがとても重要なことだそうです。


思考回路は変えられる

脳の思考回路は、シフトできる。

自分をどう変えられるか、ということを考えるには、自分の「注意バイアス」について知ることが大事だそうです。

 

ここで、脳の回路を変えられるという事実を裏付ける話がありました。

かの有名な、レオナルド・ディカプリオ氏の話でした。

彼は、重度の強迫性障害の人の役をするため、精神科病棟で強迫性障害の人と一緒に生活するなどして、役に入り込みました。

そして、とてもリアルな演技をしたとのこと。

ところが、彼自身も、強迫性障害を発症してしまったのです。

強迫性障害の患者を演じる」ことで、脳を「強迫性障害の脳」に訓練してしまったのです。

 

治療には、その逆の方法を使ったとのこと。

強迫性障害などない人間を演じる」。

そうやって、脳の思考回路を元に戻し、完治した、とのこと。

このことからも、脳の回路は自分の意識で変えることができるということが、分かります。


楽しむことを怠らない

自分を楽観的にするために。

まずは、「なにに幸せを感じるか」を考えましょう、ということでした。

落ち込んだ時に、元気を出す方法を見つけることが大事。

音楽を聞くとか。

チョコを食べるとか。

ちょっとした幸福感でいいようです。

それを積み重ねていくことが、大事。

「私たちは、無意識に楽しむことを怠っている」と。


毎日少しずつ、長期的にメンタルを訓練していけば、脳は必ず変化する。

物理的構造を変えることができるそうです。

楽観脳⇔悲観脳のシフトは、可能なのです。

 

ただ、いつも楽観的でいなければならないわけではありません。

悲観的で困っている、変わりたい、と望むのなら、変わるべきで。

自分が悲観的だと知るだけでいい、という場合は、変わる必要はないそうです。

どのくらい楽観的にシフトするかは、自分次第。

自分のちょうど良いと思うところに、自分を持っていけばいい、とのこと。

 

変わろうとする気持ち

番組は、以上のような内容でした。

私でも、変われる。

変わろうとする気持ちと、変わる方法を知っていれば、変われる。


そういえば、以前、歯医者の先生に、寝る前でいいから、横になって、身体の力を抜いて、深呼吸を繰り返してみろ、と言われたことがあります。

自律神経が整うそうです。

ヨガの呼吸法なのですが。

4秒かけて、はなから息を吸って。

4秒以上かけて、口から息を吐く。

それを繰り返す。

そうすると、だんだんと身体から力が抜けていき。

頭は真っ白になります。

とてもリラックスした状態になります。

 

とりあえず、これを思い出したので、毎日やってみようと思います。

もうすこしイライラや、落ち込みがましになることを願って。

 

そして、悪いことに目を向けるのではなく。

小さなことでいい、良いことを沢山見つけて、脳のクセを改善していこうと思います。

幸せになるための条件(楽観的になるには)

楽観主義・悲観主義

以前、NHK「心と脳の白熱教室」を見ました。

第二回目は、主に楽観脳についての講義でした。

 

楽観主義と悲観主義とは何か?というテーマ。

まずは実例を挙げていました。

大富豪なのに、悲観主義の人は、地下鉄に飛び込み自殺してしまう。

ホームレスで、お金もなく家もないのに、自殺しようとした人を命がけで助け、「人生には生きる価値がある。だから、人生を放棄してはいけない」と語れる楽観主義者。

 

楽観脳と悲観脳は、性格をも左右してしまう。

 

生物学上、人間は主に恐怖と快楽に強く反応するようにできている。

それが、楽観主義と悲観主義の原因である。

(このあたりは、第一回目の講義の内容です)

 

認知バイアスをうまく利用する

認知バイアスは、時に人間を良い方に導く。

たとえば。

鏡に映る自分を見たときに、「私って綺麗!」ととらえるか。

「わぁ、醜いな、私って」ととらえるか。

そこにも、認知バイアスが絡んでいる。

大抵は、惨めな自己像を投げかけている。

 

社交不安障害の人の場合、ネガティブな自己バイアスがかかっている。

ある人が、自分の患者に実験をした。

 

患者は、人前で赤面することに恐怖を抱いていた。

顔中が真っ赤になって、イチゴのようなぶつぶつが沢山顔に出ると主張する患者。

口紅のような真っ赤な斑点が、顔に出るのだという。

カウンセラーは、その患者をカフェに誘った。

そして、自らの顔に口紅で水玉模様を描き。

そのまま、コーヒーを注文して、何事もなく戻ってきた。

そして、患者にこう尋ねた。

「どう?今、何か起こった?」

患者は答えた。

「何人か、気付いたようだけれど、きっと少し変わった人なんだなって思ったんでしょうね、そのあとは何も起こらなかったわ」と。

そして、その患者は社交不安障害を克服したそうです。

 

本人に、認知バイアスに気づかせることが大事。

本人が思い込んでいるほど重大ではないことを知らせることが大事だ、とのこと。


今までは、不安障害やうつの研究のために、悲観脳のバイアスについては注目されていました。

しかし、最近では楽観脳のバイアスについても、注目されるようになった、と。

楽観脳のバイアスについて研究することで、不安障害やうつの人の治療に役立つそうです。

 

満足度テスト

自分を心から幸せにしてくれるものは何か?

について。

幸福の定義は千差万別だが、それを計る「人生の満足度テスト」と言うものがあるそうです。

 

私もやってみました。

結果は、23点。

だいたい満足している、そうです(*^^)v

 

安心感

子どもにとっては、親との愛情関係、守られているという安心感がとても大事だそうです。

子どもにとって、1人以上、信頼できる大人がいる(親でなくてもいい)、ということは重要なこと。

それによって、楽観的な脳になることができるそうです。

 

金銭面の安心感は、楽観脳にとって重要だと、先生はおっしゃいました。

それは、今の私にはとても良く理解できます。

貧乏は、うつを悪化させる。

経済的不安は、悲観の元になると思うのです。

 

しかし、先生はこう言いました。

「金銭面の安心は重要だけれど、余分な富は意味はない。最低限必要な金銭があればよい」と。

 

無駄な豊かさは必要ない

豊かすぎると、個人の幸福度は逆に下がってしまうという研究結果があるそうです。

自分より少し良いものを持っている人と比べてしまう。

自分より少し、立場の良い人と比べてしまう。

そうすることで、満足度が減ってしまう。

その比較がバイアスを生み、悲観的志向になる、と。

冒頭の、富豪なのに自殺した人がこの例だと。

 

次のレベルを目指そうとするがために、人は自分を追いつめてしまう。

本来考えるべきは、「自分を幸せにするには何が必要か?」ということなのに。

他人と比較して、悲観する。

 

自分に正直になる

楽観的でいるためには。

自分に対して、正直でいること。

自分は本当は何がしたいのか?

どうすれば幸せだと感じられるのか?

それを考えることが、大事なんだそうです。

 

心理状態

人間の精神状態は、次の三つに分けられるそうです。

1 うつ状態

2 パッとしない状態

3 万事が順調

 

多くの人は、2のパッとしない状態だそうです。

つまり、これがいわゆる「普通」の状態。

 

では、3の「万事が順調」になるためには何が必要か?

友人や家族、、よい社会的つながり、具体的な目的があること。

それらが、「自分は順調だ」と思うためには効果的なんだそうです。

 

ポジティブな思考を持つことは、心の回復力に直結する。

 

人間は、生まれてから、感情のコントロールを学んでゆく。

心の回復力に優れた人は、最初からそうであったのではなく。

経験した情緒的出来事が多く、訓練されてきたのである。

そのため、感情のコントロールが身についている。

 

楽観主義とは

楽観主義者とは、辛いときでも、喜びの感情を見つけ出し、幸福を感じられる人のこと。

楽観的な人に共通するのは、「現実的な楽観視」をしているということ。

物事はきっと好転する、と長期的に物事を考えることが、健全な楽観主義者だ、ということでした。

 

しかし、完全に楽観主義・完全に悲観主義の人などいなくて。

みんな、楽観主義と悲観主義の両方を持っている、と。

 

楽観性の心理テストがあったので、やってみると。

13点でした。

わたしはちょっと悲観的なようです。


楽観主義とはなにか?

・ポジティブな思考

・ポジティブな行動

・根気と粘り強さ

・自分の人生をコントロールしているという感覚

この四つがそろっていることが条件だそうです。

 

楽観脳の人は、悲観脳の人より、根気よく考える。

(とことん突き詰めるのは、自閉症スペクトラムの人にありがちなこと。もしかすると、本当は楽観脳なのかも?)

自分の人生を自分でコントロール出来ていると思うことは、非常に力づけてくれる。

 

健康にも、楽観主義は影響しているそうです。

ある修道院で見つかった、修道女たちの日記を研究してみると。

若いときから楽観的な人は、悲観的な人に比べて、生涯を通して健康で、寿命も長い。

そんな結果が出たそうです。

 

楽観的な人は、チャンスがある立場に自らを置く傾向がある、とも言っていました。

打ちのめされにくい、あきらめない粘り強さが、成功をもたらす、と。

自閉症スペクトラムの人は、二次障害を発生させなければうまく生きていける可能性がある、というのは、きっとこういうことなのでしょう…。)

 

楽観主義を強化したいなら、ポジティブシンキングになるだけではだめで。

上記の4つの項目すべてを強化することが大事だそうです。

 

人生に生かしていこう

なるほど…。

今回も、非常に勉強になりました。

粘り強さ…私は、持っています。

楽観主義になる基礎はある、ということ。

そもそも、基本的には楽観主義な部分も結構あるんです。

悲観的になっているのは、ちょっと脳内のバランスが崩れているだけで。

 

そのバランスを、もう一度もとにもどしていけば。

また、上手に生きていくことができるかもしれません。

とにかく、少しずつ、少しずつ、自分の人生を肯定して。

楽観的に生きていきたいと思います。

悲観脳とうつ

楽観脳・悲観脳

以前、NHK「心と脳の白熱教室」を見ました。

数回に分けて、講義が行われたのですが。

第一回目は、心理学者による、楽観脳と悲観脳の話で、特に悲観脳について語られました。


人間には、楽観主義者と悲観主義者がいる。

同じ人間なのに、どうしてそうなるのか?

 

たとえば、こんな話をしていました。

ある姉妹は片方はとても楽観的で。

もう一人は、とても悲観的だったそうです。

 

あるクリスマスの日。

父親は、ちょっとした実験を試みました。

悲観的な子には、彼女が喜ぶことが分かっているおもちゃを沢山プレゼント。

楽観的な子には、馬糞を与えました。

 

朝、プレゼントを見た子供たちの反応は。

悲観的な子は、沢山のプレゼントをもらったのに、めそめそ泣いていました。

理由を聞いてみると。

「こんなに沢山あったら、電池が沢山いるわ。それに、電池を取り換えるのに、いちいちすべての説明書を読まなければならないし。お友達が羨ましがって、イジメられるかもしれない。」

 

楽観的な子は、馬糞を見て、大喜び。

理由を聞いてみると。

「だって、パパ!お家のどこかに、お馬さんがいるってことよ!」と。

 

悲観的か、楽観的かで、こんなにも世界は違って見えるのだ、という実例でした。

思い当たる節が、沢山ありますね…。


認知バイアス

どうして楽観的な人はどこまでも楽観的で、悲観的な人はどこまでも悲観的なのか、という話になりました。

 

人間の認知には、バイアスがかかっていて、それが原因だ、というのです。

認知バイアスとは、「思い込み、願望、恐怖などにより、論理的思考ができなくなること」です。

誰にでもある傾向です。

それにより、元々ネガティブな傾向があると、毎日ネガティブな思考を繰り返し。

ネガティブな思考をどんどん強化していってしまう。

そうして、世界の見え方が変わってしまい、すべてのものが悲観的に見えてしまう。

 

言われてみれば…。

ネガティブな方向にばかり、物事を考える「クセ」が、私にもあるなぁ…。


認知バイアスの4分類

認知バイアスには、四つの分類があるそうです。

 

・帰属の誤り

 物事の原因を、自分に理由を求めるか、自分以外に求めるのか

 (これも、人生で何度も繰り返され、強化されいく)

 

・注意のバイアス

 楽観的な人は、楽観的な言葉に反応しやすく。

 悲観的な人は、悲観的な言葉に反応しやすい。

 (楽観的な人は、言われたことを楽観的にとらえ、悲観的な人は悲観的にとらえることになる)

 

・解釈のバイアス

 あいまいな表現を、楽観的に解釈するか、悲観的に解釈するか。

 解釈の違いは、大きな差異を生む。

 (ほめられてるのかけなされてるのか、分からないようなとき。「褒められた」と受け取るか、「けなされた」と取るかで全く違ってくる)

 

・記憶のバイアス

 些細な体験の中で、何を記憶にとどめるか、ということに関わってくる。

 ウツの人は、楽しいことは忘れ、辛いことを記憶する。

 楽観的な人は、うまくいかなかったことは忘れ、楽しいことを記憶する。

 ウツの時には、マイナスの言葉を記憶にとどめやすい。

 

あぁ、なんかとっても、身に覚えのあることばかり…(苦笑)

私は「悲観脳」なんですね…。


認知バイアスの修正

では、認知バイアスを修正するにはどうすればよいか?

ネガティブな考えを、『努力して』否定するようにしてみる。

認知行動療法のように、実際に「経験」しなければならない。

 

たとえば、楽しかったこと、嫌だったこと。

なんでもいい、些細なことでも構わないから、日記に書いてみる。

そして、それを後で見返す。

すると、「あれ?こんなたのしいことあったっけ?忘れてた」など、自分の記憶のバイアスに気づける。

 

日記に書くことで、良いことも、悪いことも、しっかり覚えておこうと意識するようになり、どちらにも目を向けるようになる。

これは、意図的に「良いこと」をさがす訓練となる。

 

私、メンタルクリニックの先生に提出するために、「気分表」を付けてるんですが。

そこには、簡易日記として、嬉しかったこと、嫌だったことも、書き込んでるんです。

どんな些細なことでも。

それって、自分で自分に、認知バイアスの修正をするように仕向けてたんですね!

私って、凄いんじゃない?(あ、楽観的になった・笑)



人間は、そもそも、良いこと、悪いこと、どちらに注意を向けるか決まって生まれてくるわけではない。

赤ちゃんは、周りの音・もののうち、どれに注意を向けるべきで、どれを無視するべきなのか、学習していない状態で生まれてくる。

それを、「花盛りのうるさい混沌」と呼んでいる。

 

…これって、自閉っ子の脳とおんなじですよね。

どの音を拾って、どの音を捨てればいいのか分からない。

カクテルパーティー効果が弱い状況。

目に入るものすべてに意識を持って行かれてしまう状況。

 

恐怖と快楽

人間には、恐怖と快楽のシステムがある。

そのシステムは、どちらも生き延びるために必要なもので。

上手くバランスを取ることが必要。

 

悲観脳とは、いわば恐怖のシステムの強い脳である。

恐怖は、扁桃体によって引き起こされる、脳の警報システムで。

「すべてを停止して、注意しろ!」と命令する。

「走れ、早く逃げろ!」と命令する。

しかし、それに対して前頭連合野が「待て、走らなくても大丈夫なんじゃないか?」とブレーキをかける。

扁桃体が敏感な人もいれば、ブレーキをうまく使える人もいる。

その違いが、悲観脳を生み出している。

 

逆に、側坐核という部分では、「うれしい!」という感情をつかさどる。

そして、それに対しても前頭連合野は「待て、おちつけ!」とブレーキをかける。

 

そもそも、人間は快楽よりも、恐怖のシステムの方が少し強く感じるようにできている。

それが、生き延びるためには必要なことだったから。

恐怖のシステムは、自分を守るために重要なものだから。

 

扁桃体を手術で取ってしまった人は、恐怖の感覚がなくなってしまい、大怪我をするようなことを平気でしてしまったり。

人を疑わなくなるので、すぐに騙されてしまう。

 

ニュースや、宗教もその「恐怖」を利用している。

世の中は、ネガティブな情報であふれている。

人間は、常にネガティブに取り囲まれて生活している。

だから、悲観脳は強化されやすい。


必要だから存在する

恐怖のシステムは、マイナス面もあるが、プラスの面もきちんとある。

みんなが楽観主義者になったら、おそらく世界は破たんする。

行き過ぎた悲観主義はダメだけど、適度な悲観主義は必要だ。

 

悲観脳が必要な職業もある。

たとえば、医者。

楽観視して、重病を見逃したら大変。

がんを見逃したら、患者は死んでしまう。

 

楽観的、悲観的な思い込みは、瀕死の人間が元気になるくらい、身体への影響が大きい。

病は気から、というのは正しい部分がある。

 

楽観主義になるか、悲観主義になるかは、認知バイアスにかかっている。


そんな内容でした。

いやぁ、非常に勉強になりました。

 

よりよく生きる

私は、自分で自分を悲観的にしていたんですね。

無意識に、悲観的な脳を作り上げていたんですね。

そして、知らず知らずのうちに、ニュースなどで悲観的な考え方を、植えつけられていたんですね。

 

それでも、無意識に自分を変えようとしていたのか。

自分の認知のゆがみを知ろうとしていたのか。

気分表に、一見しょうもないことを、書き留め続けていてよかった。

認知バイアスのことなんて、知らなかったのに。

 

次回は、楽観脳のプラスの部分・マイナスの部分についてのお話。

楽観的になるための方法について、お話です。

 

突然、自分を楽観主義にするのは難しいけれど。

少しずつ、勉強して。

自分で自分を苦しめないような生き方をしていきたいと思います。

生きたい

希死念慮

一時に比べ、うつ状態は大分落ち着いてきた如月です。

でも、まだ時々ふと、「消えたい」と思うことがあります。


なにかちょっとしたきっかけがあったり。

何となく気分が落ち込んでいたり。

電池が切れかけていたり。

そんな時に、「もう死んでもいいんじゃない?」と思うのです。


「自殺なんて、絶対にしちゃダメ!」

「生きたくても生きられない人もいるんだから!」

そう言われることも、多々あります。

私は、その言葉の意味が分かりません。


「生きたくても生きられない人もいる」

なら、私が死んで、その人に命をあげる。

臓器を提供して、その人が生きられるなら、あげる。


「自殺は許されない」

どうして?

誰がそんなことを決めたの?

なぜ自殺は悪いことなの?

私一人が消えたところで、世界が崩壊するわけでもない。

何かが失われるわけでもない。

どのみち、人間はいつかは死ぬ。

その死ぬ時期を、自分で決められるなら、むしろそれは幸せなことなんじゃないの?


どなたか、反論できる方はいらっしゃいますか?

おそらく、誰にも「どうして自殺はわるいことなのか」という答えは分からないでしょう。

 

真っ暗闇のトンネルで

「生きていれば、いつかはいいことがある」

今、真っ暗なトンネルを歩いていて。

出口も見えない。

トンネル内を照らす明かりもない。

手探りで、這いつくばって、もがいて。

そんな状態で、「きっといつか、光が見える」なんて言われて。

信じられますか?


どこにゴールがあるのか分からない。

どこまで真っ暗闇が続くのか分からない。

隣りに人がいても、その人の存在を感じ取れない。

隣りにいる人は、「がんばれ!もっと早く進めば、早く灯りが見える!あきらめるな!」そういうけれど。

その場で灯りとなるものを差し出してくれるわけではない。


そんな時、その隣にいる人が、全てを受け止めてくれたら、どんなに気が楽になることでしょう。

その人が、私の「怖い。この暗闇はいつまで続くの?もうここで立ち止まりたい」という気持ちを否定せずに、受け入れてくれたら、どんなに嬉しいことでしょう。


トンネルの中にいるときは、「弱音は吐いてはいけない」という檻に閉じ込められている時です。

そんな時、その檻のカギを開けて、「弱音、吐いてもいいよ」って言ってくれたら。

どんなにうれしいでしょう。

 

「死にたい」=「生きたい」

「死にたい」。

それは、心からのSOSなのです。

「助けて!私はここにいる!でも、ここに居場所はない!」

そう、叫んでいるのです。

「死にたい」と叫ぶのは、本当は「生きたい」からだと思うのです。


本当に自殺してしまうときって、「死にたい」と言うことさえ出来ないのです。

本当に一瞬の出来事で。

地下鉄の電車が走ってくるところに、吸い込まれそうになったり。

交通量の多い道路を行きかう車の前に、ふっと吸い込まれそうになるんです。

マンションの階段から下を覗いて、あれがゴールか、と思ってしまうんです。

まるで、死神が背中を優しく押すかのように、ふっと体が浮くんです。


私は、実際に自殺したことはありませんが。

自殺未遂までは、行ったことがあります。

その時の感覚が、「死神が背中を優しく押す」なのです。

死にたい時には、死神は天使に見えます。

私の人生を終わらせてくれる、天使に。


私は、その死神の手を、何度も振り払いました。

だから今、ここに生きています。


身近な人が「死にたい」と言い出したら、ほとんどの人が動転してしまうことでしょう。

そして、一般的に「正当」とされている理由を持ち出して、改心させようとすることでしょう。

でも、それは、自殺衝動を強めるだけで、何の対策にもならないように思います。


一番いいのは、常に寄り添い、弱音を吐かせてあげること。

弱音を吐く自分を受け入れられない人に、弱音を吐いていい場所を作ってあげることだと思います。

勿論、実際に自殺に踏み切らないように、注意深く行動を観察することも必要です。

そして、「何も言わずに自殺してしまわないこと」を約束することも、大切です。


誰が、いつ、自殺したいと思ってもおかしくはないのです。

だからこそ、普段から接している人が、逃げ道としての役割を果たすことができるよう、準備をしておくことも、大切だと思います。


「死にたい」と言われた時。

どうか、動転せず冷静に、気持ちを受け止めてください(ただし、自分が壊れない範囲で)。

気持ちを、弱音を吐いた勇気を、否定しないでください。

辛い気持ちを、理解してください。

それだけで、いいんです。

否定されないだけで、心が軽くなるんです。

 

死にたいと言えた勇気

これは、自殺願望がある当事者にも伝えたいことです。

「死にたい」と言えた勇気。

それは一生懸命生きている証なのです。

 

ただし、実際に行動を起こしてしまうことは、勇気ではありません。

実際に行動を起こすエネルギーを、誰でもいいから、「死にたい」と伝えるエネルギーに変換してみませんか…?

絵の新作「太陽の塔」

絵の新作が完成しました。
太陽の塔」です。
 
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なぜか、無性に描きたくなったんですよね…。

 

ここ最近、急に暑くなったので、夏バテのような状態になっています。

体がついていかず、それに引っ張られてメンタルもグダグダ。

いつになったら涼しくなるのー?(笑)

 

次は、また仏像を描きます(*^^)v