kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

オール・オア・ナッシングの思考

約束が怖い

 

生活していれば、いろいろな場面で、他人と「約束」する機会があります。

出かける約束。

仕事の約束。

用事の約束。

私は、その約束が怖くてなりません。

なぜなら、「約束」は、「守らなければならないもの」だからです。

 

約束は守るべきもの

 

小さいころから、「約束を破ってはいけない」と教わってきました。

「約束を破ることは、悪いことだ」と。

それは、絶体のルールとして、私の中に埋め込まれました。

だから、私にとって、約束が守れないということは、ルールを破ることで。

命を取られるに等しい恐怖があります。

 

自分の体調に自信が持てないとき。

これから先の予定が分からないとき。

「○日に遊びに行こう!」と言われても。

 

もしかしたら、その日体調が悪くて、キャンセルしなきゃならないかもしれない。

そうしたら、約束を破ることになる。

約束を破ることは、悪いことだ。

でも、約束しないと、相手の予定が立たない。

どうしたらいいんだー!

と、パニックになります。

 

約束したら約束したで。

その日、絶体に約束を守れるように、体調を整えておかなきゃ!

というプレッシャーに、押しつぶされそうになります。

 

そのプレッシャーに耐えられず、約束をしてしまったことを後悔したり。

数日前に約束をキャンセルしてしまったり。

どんどん、自分を追いつめてしまいます。

 

約束の内容が、どんなに楽しみなことでも。

「約束を守らなきゃ!」というプレッシャーに、負けてしまいます。

 

約束の内容が、気の進まないことならなおさらです。

もう、その約束を終えるまで、パニックです。

ずっと、不安なままです。

 

全か無か

 

それもこれも、「0か100か(全か無か)」という、考え方の特性のせいでもあります。

 

「約束は、守れないこともある」という、例外がないのです。

理屈として、例外があるということを理解していても。

どうしても、それが納得できないのです。

 

約束は、「守る」か「破る」かしか、ないのです。

「守れそうにない場合は、キャンセルしてもいい」という思考が、どうにも納得できないのです。

そのせいで、「約束すること」自体が恐怖になっています。


なかなか変えられない

 

自分の考え方の特性、認知特性を把握していても、対処しきれない場合もある。

自分の中のルールを書き換えるには、膨大な時間が必要なのです。

 

生きていく中で、とても困ったことです。

それゆえ、「障害」であるんですけれど…。

WAIS-Ⅲの結果

能力のでこぼこ

 

以前、障害者職業センターで知能テストと心理テストを受けたことがあります。

私が受けた知能テストは、WAIS-Ⅲです。

 

個人情報ですが、名前を隠したうえで結果を書きます。

どんなふうになるのか気になっている方もいるでしょうし。

何かの参考になるかもしれませんので…。

 

ここで一つ注意していただきたいのは、知能テストで発達障害が診断できるわけで名はありません。

知能テストはあくまで、診断の補助材料となるだけです。

知能テストで凸凹があったから、発達障害と診断されるわけではありません。

 

テストの結果

 


 

・IQ…106、平均です。

・言語性IQ…106

・動作性IQ…103

 

言語性IQと動作性IQに、差はありませんでした。

正直、IQはもうちょっと高いかな、と思ってたけど、そうでもなかった(苦笑)

因みに、IQ90~109には50%の人が入り。

IQ85~114の間に、68%あまりの人が入るそうです。

 

言語性IQ>動作性IQだとアスペルガーで。

言語性IQ<動作性IQだと高機能自閉症だ、と言われたりしますが。

最近では、言語性IQと動作性IQの差には意味がない、と言われています。

WAIS-Ⅳでは、削除されているそうです。



もう少し細かく見てみると。

・言語理解…111

・知覚統合…116

・作動記憶…90

・処理速度…92

 

ばっちり凸凹が出ています。

大体、上下の差が15あれば発達に凸凹があると言われますが(これも諸説あり。あまりあてにはならないようです)。

私の場合、一番高い知覚統合と作動記憶で、26の差があります。

 

作動記憶(ワーキングメモリ)が弱いんですね。

ADHDの不注意が如実に表れているのでしょう。

だから会話している間に何を話してるのか、分からなくなったりするんだな。

もっと細かく見てみると↓

 

 

見事に凸凹です。

単語の意味を答えたり、類似点を見つけたり、足りないものを見つけたり、積み木で模様を作ったり、パズルはとても得点が高いです。

それに比べ、算数や数唱といった、聞いて覚えて答える、というものがダメ。

何枚かのカードに描かれた絵を見て、順番に並べ替えるのもダメダメ。

標準の10を大きく下回っているわけではありませんが、苦手なようです。

 

カウンセラーさんのコメント

 

・知能水準は平均

・言語性IQと動作性IQの間に差は見られない

・知覚統合と言語理解が、処理速度と作動記憶よりもそれぞれ高い

・言葉での説明は得意で語彙も豊富だが、聞いたことを頭の中で整理するというのは苦手

・目に見える形で提示される方が理解しやすい

・時間を気にすると集中できずに焦る傾向がある

 

はい、まったくもってその通りです…。

なので、自分でマニュアルを作り、視覚化したり。

時間にかなり余裕を持って行動するようにしています。


メンタルクリニックの先生も言ってたけど、凸凹がしっかり出ました。

カウンセラーさんも、見事に凸凹が出てる、と言ってました…。


因みに…。

自閉症スペクトラムと知能に関しての記事はこちら↓

http://ameblo.jp/kisaragikou0220/entry-12009621503.html

エゴグラム

 


 

CPがMAXです…。

そして、谷の深いW型!

いわゆる「自殺型」です…。

予想通り、自殺型でしたー!!(笑)

エゴグラムのタイプ分けの中では、一番ヤバいといわれるタイプw

 

カウンセラーさんに、「希死念慮とかありませんか?」って言われました。

「あります。ずっと死にたいと思ってます。むしろ、死にたいと思ったことがない人なんているの?って思ってます」と答えちゃいました…。


カウンセラーさんのコメント

・理想や責任感が高く、客観的に物事を考えようとする。

・しかし、自分の思いを言えずに心の中で葛藤を抱えたり、周囲の人には感情が感じ取りにくかったりする。

何を考えているかわからない、冷徹な人間に見えるってことでしょうか。

 

その他の心理テスト

 


 

これは、テストした日までの1週間の気分が反映されます。

左から、「不安」「抑うつ」「怒り」「活気の度合い」「疲れ」「混乱」の得点です。

 

カウンセラーさんのコメント↓

・「不安」「怒り」「疲労」「混乱」が高く、「活気」が低い。


他に、職業適性検査で、気になる項目が。

器具作業の特性として、

・両手を一緒に動かす動作で、右手が先行し左手が追いかける形になっている

・おおざっぱな手腕作業よりも、こまかい指先作業の方がスムーズ

これは…協調運動(粗大運動)の問題でしょうか?

 

また、情報や物に対する興味は高いのに、人に対する興味がゼロ、という結果が…。

もう笑うしかないじゃないですか…(;^ω^)

検査結果としては、このような感じでした。

 

検査で調べられるのはごく一部

 

このテストで測れるIQは、能力のごく一部です。

なので、このテストで測った能力以外に、凄い部分があるかもしれないし。

とんでもなく出来ない部分があるかもしれない。

それは、自分で探していくしかありません。

テストの結果が、すべてではありません。

絵の新作「金剛力士像」

絵の新作が完成しました!

金剛力士像」です。

 

 

今回の絵は、中の模様の部分が点描になっています。

 

描き上がるまでに、2週間ちょっとかかったかなぁ…。

立体感を出す工夫をしたり、方法を少し変えてみたり。

試行錯誤しながらだったので、頭も時間も使いました(;^ω^)

 

少しレベルアップしたでしょうか。

まだ工夫するところもあるので、またどんどん絵を描いていきます。

仏像シリーズが出来る予定です。

 

次はちょっと仏像を離れて、動物を描く予定です(*^^)v

空気読めたら発達障害者してません!

空気を読めという暴言

ずいぶん前のことですが、ある人に入れました。

「状況を見たらわかるやろう。空気を読んで行動しろ」と。

その人には一応、私が発達障害であることを伝えています。

ごく簡単にですが、説明もしてありました。

理解を得たとは思っていませんでしたが…。

 

すごく頑張って。

体力も使い果たして。

精神力も使い果たして。

その上で、言われた言葉が、「空気を読め」でした。

 

愕然としました。

その場で崩れ落ちるくらい、ショックを受けました。

それでも、「人と話す時はにこやかに」の決まりを守って。

にこにことしながら「そうですね」と話を聞いていました。

 

その場では受け流したものの。

家に帰って。

すごく悲しくて。

ボロボロの身体を引きずって、頑張ったのに。

泣きました。

同じ発達障害の人に、話を聞いてもらいました。

その人は言いました。

「空気読めたら、(発達)障害者じゃない!(怒)」

 

そうです。

その通りです。

空気読めたら、発達障害者してません。

 

発達障害の特性で、空気が読めないんです。

空気が読めないから、発達障害なんです。

少し読めても、読み間違いをすることの方が多いです。

読み間違えたら読み間違えたで、また怒られる。

そうやって、二次障害を発症していきます。

 

空気はお吸い物です

「空気を読む」って、すごく恐ろしい行為です。

状況は、言葉ではっきり言ってもらわないと、分かりません。

 

例えは悪いかもしれませんが。

発達障害者に「空気を読め」と言うのは、足のない人に「立って走れ」と言うのと同じようなものです。

能力が備わっていないのに、その能力が必要なことを、強要しているのです。

 

それと同時に、「空気を読め」って、相手に甘えているように感じます。

自分は説明せず、相手に判断をゆだねる。

自分の説明責任を放棄し、相手に依存しているように、感じませんか?

相手が自分の意図したことと違う行為をしたとき。

「空気が読めない奴だな!」って言いますけど。

だったら、はっきり「○○してほしい」と、伝えるべきではありませんか?

 

人と自分は別の存在である

 

 

「空気を読む」ということは。

相手が、自分と同じ感覚を持っていることが前提になっています。

しかし、実際には、相手が必ずしも自分と同じ感覚を持っているとは限りません。

自分と相手は、別の存在で、思考回路だって全く別の独立した存在です。

そのことを、多数派さんは忘れていませんか?

 

異様な空気

日本人は、「空気を読む」ことに異常に敏感だと言われています。

はっきりものを伝えないことが、美徳とされてきたからです。

だから、日本では発達障害者の居場所がなくなる。

ちょっと空気が読めなかっただけで、煙たがられる。

確実に物事を遂行したければ、指示をはっきり出す必要があると思うのです。

それは、社会全体において言えることです。

 

無責任な言葉

また、「任せる」と言っておいて、文句をつける人。

「任せた」のなら、どのような結果が返ってきても、文句を言う筋合いはないと思うのです。

「任せる」って、便利な言葉です。

でも、非常に無責任な言葉とも成り得るのです。

相手に責任を押し付ける言葉でもあるのです。

 

面倒なのはどっち?

少数派から見れば、多数派はなんて訳の分からないことをしているんだろうと、不思議でなりません。

何でそんなまわりくどい方法を取る?

直接、言葉で伝えたら、齟齬も生じにくくなる。

なのに、わざわざ、意味を取り違えるかもしれない方法を取る。

 

面倒な存在なのは、少数派ではなく、多数派の方なんじゃないの?

って思ってしまいます。

思い出しパニックの正体

感情が理解できるまでに時間がかかる

 

以前、ツイッターでフォロワさんとお話していて。

感情が理解できるのって、ずいぶん後になってからだよね。

「あぁ、あの時、私はこう思っていたんだ」と分かるまでに、時間がかかるよね、という話をしていました。

 

私も、その場では、何となく「不快な感情」があることは分かっても。

それが「悲しい・苦しい・嫌だ・やめてほしい」などの、どの感情にあてはまるのか。

なかなかわからないのです。

だから、何となくイライラしたまま過ごしてしまって。

後で思い出して、どっかーんすることもしばしば。

 

思い出しパニック

 

これは、「フラッシュバック」とか「タイムスリップ現象」などと呼ばれるようです。

私は、「思い出しパニック」と呼んでいます。

そのほうが、状況にぴったり合うと思うから。

 

嫌なことを思い出して、恥ずかしかったことを思い出して、イライラしたり、パニックに陥っているのです。

「思い出し笑い」という言葉があるのだから。

それを真似て、「思い出しイライラ」とか、「思い出しパニック」と呼ぶ方が、ぴったりだと思います。

 

思い出しパニックを説明すると

私なりの言葉で、どんな状況か説明すると、こんな風な表現になりました。

ある出来事が起きたとき。

その場で理解できなかった感情は、時間をかけてだんだんと理解できるようになる。

でも、理解できた時にはもう遅くて。

今更言っても、仕方のないことで。

処理されずに終わってしまう。

 

処理しきれなかった可哀想な感情は、心の海の底深くに沈殿し。

黒くてドロドロした、ヘドロとなる。

プランクトンが降り積もって、石油になって、心の燃料になればいいけれど。

降り積もった感情は、不要物である、ヘドロにしかならない。

 

そして時々、心の海が荒れたとき。

水流によって、そのヘドロが巻き上げられ、海面にまで浮上する。

そのヘドロに巻き込まれ、飲み込まれた私は、荒れた心の海で溺れてしまう。

 

それが、「忘れられない脳」や「フラッシュバック」の正体なのではないか、と。

そもそも、感情の処理が遅くて。

処理しきれないから、フラッシュバックが起きてしまうのではないか、と。

そう思うのです。

 

そして、ヘドロには一つだけではなく、様々な嫌な体験・感情がごちゃ混ぜになっていて。

一旦海が荒れると、全部が浮上してきてしまう。

だから、芋づる式に、嫌なことがどんどん思い出されてしまう。

そして、パニックを起こさざるを得なくなる。

 

こんな風に説明したら、多数派さんにもわかりやすいかな、と。

いかがでしょうか?

エコラリア(おうむ返し)には意味がある

エコラリアのこと

 

自閉症者によく見られるという、エコラリア。

反響言語、或いはおうむ返しなどと表現されます。

 

このおうむ返し。

多数派さんの解説によれば、「意味はない」と書かれていることが多いです。

しかし、本当にそうでしょうか?

 

当事者として、言わせていただきますと。

「全部が全部、意味のない言葉ではない」

です。

 

エコラリアの分類

 

おうむ返しを、分類してみます。

あくまで、私の場合、ですが…。

 

①「○○ですか?」と聞かれた時に、「○○ですか?」とそのまま返す。

この場合、聞かれたことの内容が分からず、「どういう意味?」とか、「分かりません」という意味が含まれます。

多数派さんだって、「○○についてどう思う?」などと聞かれた時。

○○が分からなければ、「○○?」と、そのまま聞き返すはずです。

それと同じことが起こっている。

ただ、とっさに聞き返すときに、どう言えばいいかわからず、聞えた言葉をそのまま返している、というだけです。

 

②「○○ですか?」と聞かれた時に、「○○です」と返事する。

これは、一見おうむ返しに聞こえるかもしれません。

普通なら、「はい」とか「いいえ」で答えれば済むことですから。

しかし、質問に対し、とっさに答えようとしたときに、言葉が出てこない。

だから、相手が発した言葉を借りて、自分の意思を表現する。

この方法は、肯定の時にしか使えません。

否定のときは、首を横に振ります。

 

③質問以外の何かを言われた時、その言葉をそのまま繰り返す。

それは、単に言葉の響きが気に入って、繰り返していることが多いです。

言葉が韻を踏んでいるときは、特に繰り返してしまうことが多い。

誰かに言われたことでなくても、CMなどのフレーズでも同じことが起こります。

 

古いCMを例にしますと。

「A4でえーよん」とか。

「トナー買ってこないとなー」とか。

そういう、くだらないダジャレのようなものが大好きで。

日常会話でも、ふとした時に韻を踏んでいれば、繰り返してしまったり。

自分の発言でも、気に入れば繰り返し言うこともあります。


コミュニケーションと言葉遊び

 

まとめると、①、②の場合は、とっさに言葉が出てこない、というコミュニケーション上の問題によるもので。

③は、単に言葉遊びが好きだ、といったところでしょうか。

 

①、②に関しては、本人なりに何とかコミュニケーションを成立させようという努力の表れでもあるのです。

それを、意味が分かっていないのだととらえられてしまうと、悲しいものがあります。

 

③に関しては、言葉を言葉としてとらえるのではなく、「音」としてとらえてしまっているという特性の表れでもあります。単純に音を楽しんでいるだけなので、周囲に迷惑をかけない限りは放っておいて欲しいものです。

 

必ずしも悪ではない

 

悪いもののようにとらえられがちな、おうむ返しですが。

私の場合は、こういう理由があって、おうむ返しをしてしまうことがあります。

多数派さんにとっては、分かりにくい感覚かもしれません。

でも、私にとっては、多数派さんに適応するための術でもあるのです。

フラッシュバックによるパニック

思い出しイライラ

フラッシュっバックでは、思い出し笑いならぬ、思い出しイライラが起こることがあります。

 

とても分かりやすい思い出しイライラがありました。

 

フラッシュバックのきっかけは、「夕焼けエッセイ」という、新聞の投書欄。

その日のエッセイは、不登校児の母親の書いたものでした。

そこから、どういう展開になったのかは覚えていませんが。

私が小学校1年生だったころのことを、思い出しました。

 

算数のテスト

 

小学校1年生の時、算数の文章問題のテストで、20点という酷い点数を取ってしまったことがあります。

それを見た母はびっくり仰天。

普段私は、「5+6=11」といった、通常の計算問題はきちんと解けていたからです。

なのにどうして、そんな酷い点数を取ったのか。

とにかく、叱られました。


そして、テストのやり直しを命じられました。

どこがどうわからないのか。

母は、つきっきりで教えてくれました。

「リンゴが3こ、みかんが5こあります。ぜんぶでいくつですか。」

そんな問題でした。

母は、問題を絵で書いてくれました。

リンゴが3つ。

みかんが5つ。

その絵を見た私は、すぐに正解することができました。


母は、私が答えるとすぐに、リンゴとみかんの絵を消しました。

そして、もう一度、文章を読んで解いてごらん、と言いました。

絵を消されたとたん、私は問題が解けなくなりました。


それを見ていた母は、私がふざけていると思ったのか、「どうしてさっきできたことが出来ないの!」と怒りました。

私は、訳が分からなくなって、泣きました。

 

文章を理解するということ

 

私は、「文章を読む」ことは出来ました。

ひらがなは読めましたから、書いてあることを読み上げることは出来ました。

しかし、その「内容」までは理解できていなかったのです。

文章に書かれていることが、どういうことなのか。

それが、リンゴとみかんの絵と、どうリンクするのか。

それが全く分かりませんでした。


その後も、すべての問題を解き終わるまで、かなりの時間がかかりました。

泣きながら、何とか最後まで解きました。

 

時間を経て理解した気持ち

 

そのことが、フラッシュバックしました。

フラッシュバックというより、タイムスリップと言った方が、表現は妥当かもしれませんが…。

そして、その時のイライラを、悔しい気持ちを、二十数年の時を経た今、母にぶつけてしまいました。


もちろん、母はそんなこと、いっさい覚えていません。

私が泣きながらテストのやり直しをしたことなんて、これっぽっちも覚えていません。

 

ときどき、自閉っ子のパニックの原因が、昔の些細な出来事にあることに驚く親御さんや、多数派さんの日記を見かけます。

親御さんや多数派さんにとっては、「そんなことで?」と思うような、些細なことかもしれません。


でも、当の本人にとっては、「とても重大な事件」なのです。

分かってもらえなかった、その時の気持ち。

悔しかった気持ち。

イライラした気持ち。

それが、今やっと消化され、感情として出てきているのです。


感情の消化には、何年もの時が必要かもしれません。

言語化できた時に、はじめてその理由が分かるのかもしれません。

 

寝に持っているわけではない

 

母に話した時、「根に持たんといてよ~」と言われました。

別に、根に持っているわけではないのです。

ただ、今やっと、それを伝えることができただけなのです。

そして、そういった些細に見える出来事の積み重ねが、自己肯定感の低下を引き起こしていることは、事実なのです。

 

フラッシュバックによるパニック。

私の場合は、こんな感じです。

多数派さんには、なかなか理解できないものかもしれません。

だからこそ、当事者側から発信していかなければならないことなのではないか、と考えています。