kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

知識欲とこだわり

こだわりという特性

 

自閉圏の人にはよくみられることですが、私にも「こだわり」があります。

今回は、そのうちの一つを取り上げます。

 

知らないことを知ること

 

一番役に立ったこだわりは、「知識欲」です。

私は、自分の知らない出来事に出合った時、それを否定して終わらせることはありません。

逆に、自分の「知らない」ことがあることに、不安を抱くぐらいです。

自分の知らないことがあると、その知らないことが突然目の前に出てきたときに、困るかもしれません。

だから、徹底的に調べます。

 

もともと、新しいことを知ることが好きです。

だから、何でも自力で調べます。

今では、私の知る限りの人の中では、私の博識は、上位だと思います。

(ある分野を深く知っているかどうかではなく、広くという意味で。)

知識欲も、上位だと思います。

職場でも、「ものしり博士」と言われ、「何かわからないことがあれば、まず○○ちゃん(私のこと)に聞け!」となっていました(笑)

 

そういえば、小学校3年生の時にも、「ものしり博士」と呼ばれたことがあったなぁ(笑)


とにかく調べつくす

 

不思議に思ったことも、調べつくします。

最近はインターネットでいろいろと調べ物ができるので、便利です。

不思議に思うことは、科学であったり、生物であったり、どちらかというと理系の物事が多いです。

もともと、不思議なことを解明するのが科学なので、当たり前と言えば当たり前です。

 

言いかえれば、「知識コレクション」と言ったところでしょうか。

「切手の収集」や「昆虫採集」と同じようなものだと思っています。

私が収集しているのが、たまたま「知識」という形のないものだった、というだけのことです。


知ることは生きること

 

知らないことを知ることは、自分の世界を広げてくれます。

ひとつ段を上るだけで、見える世界の広さが、変わります。

もっともっと高く上がれば、山の上に立てば、さらに視界が広がります。

いろんなことが、見えてきます。

宇宙に届くくらい、高いところへ登れば、もしかしたらすごいものが見えるかもしれません。

 

だから、知ることが楽しいのかもしれません。

そして、その知識が誰かの役に立った時。

それが一番楽しい瞬間です。

静かな待合を用意してほしい

病院で

 

時々、病院で思うことがあります。

「静かな待合室を用意してほしい」と。

 

聴覚過敏

 

私は聴覚過敏があり、人の声がたくさん聞こえるところ、ざわざわしているところに長時間いると、すごくイライラして癇癪を起しそうになります。

それでも我慢をし続けると、めまいがして気分が悪くなってきて、座っていられない状態になります。

 

病院によっては、テレビがついていて、さらにUSENが流れているところがあり、その上に人の話し声、子どものはしゃぎ声、お年寄りの大きな話し声が混ざると、とても耐えられません。

 

ですから、そういった場所に行く場合は、必ず防音用のイヤーマフを持って行ったり、その場から離れて待つことの許可をもらったりします。

 

病院の待合はしんどいだけの場所

 

人で混み合っている場所にいること自体が、非常にしんどいです。

触覚過敏に入るのでしょうか、すぐ隣に人が座っていると、ぞっとします。

そのため、できるだけ混んでいる待合室には入らず、外で待機したり、出かけて時間をつぶすなどしています。

家の近くのクリニックの場合は、いったん帰宅することもあります。

 

どうしても待合室で待たなければならない場合、防音用のイヤーマフをして何とか耐えようとするのですが、イヤーマフは安全のために人の声が聞こえる仕様になっているので、人の声を完全にシャットアウトすることはできません。

ですから、すごくしんどい思いをすることになります。

 

別室を用意できないか?

 

発達障害を抱える人以外にも、聴覚刺激に弱い人はいると思うんです。

ですから、静かに待ちたい人、調子が悪くてちょっと横になって待ちたい人が使えるような、別室を用意してもらえたらな…と思うんです。

 

小さな病院では、無理かもしれません。

その場合、外で待機するようにし、順番が来たら呼びに来てもらったり、携帯電話に連絡を入れてもらうなど対処してもらえれば助かります。

 

大きな病院でも、静かで、画面表示で各科の呼び出し番号が表示されるような待機場所があればいいな、と思います。

 

病院だからこそ

 

病院は、病気があってもおしゃべりはできて一見元気に見える人も来ます。

しかし、病気があって、さらにすごく体調が悪くて、やっとの思いで病院に来ている人もいます。

その両者を、同じ場所で待機させるのは、少々無理があるのではないかと…。

 

そういった配慮がもう少し広まってくれると嬉しいな、と思う今日この頃です。

人の声を聴き続けるのがつらい

人の声がとてもしんどい

 

以前、近所のおうちが、住宅密集地にも関わらず、突然自宅のガレージでバーベキューをしていらっしゃいました。

それにもイラッとしたんですけど、一言注意を入れましたし、今後一切同じようなことがないならば、放置しようと思います。

 

それよりも、数人の人間が集まって、子どもも数名いる状況で、非常に騒がしかったのが一番しんどかったのです。

それが6時間~7時間ほど続きました。

そして、私の部屋はまともにその声が聞こえてくる位置にあるのです。

 日中とはいえ、いくら何でも6~7時間も大騒ぎされると、しんどいです。

 

聴覚過敏

 

私は聴覚過敏があり、バスや電車のモーター音、喧騒など、音が苦手です。

人間の声が一番苦手で、その中でも子どもが発する甲高い「キーキー」という奇声、男性の大声が特に苦手です。

 

その声が、半日以上にわたって、絶えず聞こえてくる。

そんな状況で、私のイライラはMAXになり。

どっかん爆発寸前でした。

メルトダウンまではいきませんでしたが、その一歩手前にはいました。

頭を壁に打ち付けたい気持ちでいっぱいでした。

 

パニックを起こしていた

 

静かになって、気持ちが落ち着いてくるまで、人の声に耐えられずにパニック状態に陥っていることに、気付くことができていませんでした。

イライラする気持ちはわかっていたんですが。

後から考えると、パニックを起こしていたんだな…と。

 

病院でも

 

 

そして、ほかに思い当たることが一つ。

いつも、皮膚科の待合で長時間待っていると、必ず途中で気分が悪くなります。

待ち時間が長いことがわかっているときは、できるだけ外出して時間をつぶすようにしていますが。

雨が降っていたり、時間の読みが甘く、うっかり長時間待つことになってしまう場合もあります。

 

皮膚科では、テレビがついています。

そして、USENもかかっています。

これだけでも、私にとっては苦痛なのですが(どちらか一方なら、まだ耐えられる)。

そこに、人の声まで混ざってきます。

 

私が皮膚科で待ち時間に気分が悪くなるのは、聴覚刺激がキャパを超えてしまうからではないか、と思い当たりました。

 

内科でも、混んでいるときは、気分が悪くなることがあります。

その時は大概、テレビの音と患者さん同士の話し声で、がやがやしているときです。

 

メンタルクリニックでは、テレビも音楽もかかっていません。

一部の人を除き、ほとんど誰もしゃべりません。

ですから、気分が悪くなることはありません。

 

 聴覚過敏由来の不調

 

バーベキュー事件で、私は聴覚過敏による不調が結構あるのではと、ようやく気付いた次第です。

聴覚過敏があることはわかっていましたが、まさか、ここまでひどいとは思っていませんでした。

 

対策は…

 

今のところ、対策としてはヘッドホンで音楽を聴く、イヤーマフをするくらいしか対処法がありません。

耳栓は苦手で、イヤホンも苦手なのです。

なんだか、耳が気持ち悪くて…。

なので、デジタル耳栓もあまり使えずにいます。

 

完全に耳をふさいでしまうと、何かあったときに危険だし。

耳をふさがないと、しんどいし。

何か、いいグッズがあればいいんだけどなぁ…(´・ω・`)

バリア機能があれば

欲しい機能

 

「バリア!」

小さいころ、オニゴッコをしているときに、この言葉を叫ぶと。

鬼がタッチできないというルールがありました。

 

「バリア!」と叫ぶことで。

自分の周りに、見えない壁を作ることができるんです。

そう叫ばれると、鬼は一切手出しができません。

 

しかし、ずっと「バリア」の効果が続くと、オニゴッコは面白くありません。

なので、「バリア」の効果は、5秒までとか、10秒までとか、決められていました。

 

ふとそんなことを思い出して。

日常生活でも、「バリア!」と叫べば、自分の周りに透明な壁ができるといいのになぁって、思いました。

要は、透明なバリケードを作るみたいな感覚。

 

バリアの使い道

 

周りの音が辛いと思ったら、「バリア!」。

これで、音を防ぐことができます。

 

人が自分の領土に侵入し過ぎだと思ったら、「バリア!」。

これで、パーソナル・スペースに、土足で踏み込む族(やから)を追い出せます。

 

臭いなと思ったら、「バリア!」。

空気を遮断して、匂いの刺激から自分を守ります。

 

少しまぶしいなと思ったら、「バリア!」。

茶色っぽい色の透明なフィルムのような壁が作れれば、外出も少しは楽になるでしょう。

 

必要なときには、「バリア!」と叫ぶことで、世間との間にバリケードが作れて。

不必要になれば、すぐに解除できる。

そんなことができれば、感覚過敏は少し楽になって。

生きやすくなるのかなぁ、なんて思っています。

 

そんな能力を持つこと、できませんかねぇ?

もしくは、科学技術によって、可能になりませんかねぇ?

 

以上、感覚過敏に悩む、一個人の妄想でした。

扱いにくい子?いいえ、どう扱ってもらったらいいかわからない子です

扱いにくい子?

 

発達障害を抱える子どもは、ちょくちょく「扱いにくい子」「困った子」と言われます。

じっとしていることができなかったり。

自分の思いを、うまく伝えられずに癇癪を起したり。

不安や恐怖でパニックになって、自分の行動を抑制できなかったり。

興奮しやすかったり。

 

端から見れば、それは困った子、扱いにくい子に見えることでしょう。

でも、それは本人がそうしようと思ってしているわけではなく。

本人たちにも、どうしようもないことなんですよね。

 

うまく扱ってもらえなくて困る

 

多数派から見れば、「扱いにくい」「困った子」ではありますが。

こちら側に言わせれば、「理解してもらえなくて、上手に扱ってもらえなくて、困っている子」なんです。

どうしたら、怒られずに済むのか。

どうしたら、自分の行動の理由を理解してもらえるのか。

多数派に属する子供たちは、それらを成長の過程で、上手に理解し獲得してゆくのでしょう。

 

時間がかかる、あるいは理解する方法が違う

 

もともとコミュニケーションや社会性にハンデのあるASDの子は、自らを表現する能力を獲得するのに、とても時間がかかります。

どんなふうに行動したら、みんなみたいに、怒られずに済むのか。

どう言えば、自分の行動の理由を理解してもらえるのか。

逆に言えば、どうしてみんなは、自分の説明する理由が理解できないのか。

とても、悩むわけです。

 

感覚のズレ

 

自分の行動の理由が、相手に理解してもらえない。

そこには、「感覚のズレ」が横たわっています。

しかし、自分の感覚が多数派の人間と違っていることなんて、本人には分かりません。

「感覚」というのは、自分にしかわからないものです。

他の人間の感覚を、体験することは不可能です。

だから、同じ家庭に生まれた兄弟でも、どうしてあの子は親に理解されているのに、自分の行動は理解されないんだろう、と悩むことになります。

自分だけ理不尽に怒られている、と思うようになります。

 

二次障害まっしぐら

 

理由は分からないけれど、自分ばかり怒られる。

きっと、自分が悪いんだろう。

一旦そう思うと、、もう自己否定まっしぐら。

自己肯定感は育たず、どんどん自己嫌悪に陥ります。

そして、二次障害に発展。

生きづらさが、二倍・三倍・四倍と膨れ上がっていきます。

 

発想の転換

 

扱いにくい子、困った子だと思う前に。

どうか、逆の発想をしてみてください。

相手の気持ちが読み取りにくいと言われるASD者ではない、多数派の人たちなら、相手の立場に立って物事を考えるということが、できるはずです。

 

どう人と関わっていいかわからないから、困っているんだ。

どう扱われればいいか、わからないから、困っているんだ。

困った子なのではなく、困っている子なんだ。

 

SOS

 

発達障害の人も、その人なりにSOSを出しています。

それは、多数派のSOSの信号とは、違うかもしれません。

でも、何らかの形で、SOSを発しています。

時には、それが周りを困らせる行動に見えるかもしれません。

 

必ず理由はある

 

自分が取った行動の理由を、理解してもらえないことほど、悲しいことはありません。

少数派でも、多数派と同じように、考えて、行動しています。

理由のない行動なんて、ありません。

理解があるに越したことはありませんが、理解するのは難しいかもしれません。

だから、理解まではいかなくても、どうか、誤解だけは、取り除いてください。

 

多数派には見えない世界を見ている、私からのメッセージです。

麦茶の味と味覚過敏

味が変!

 

味覚過敏を発揮してしまうできごとがありました。

 

お風呂上りに、麦茶を一杯飲んだ時。

「あれ?いつもと味が違う…なんか甘いぞ?」

一瞬、麦茶が腐っているのかと思いましたが、その麦茶は夕方に湧かしたばかり。

腐っているはずがありません。

 

そこへ、母がやってきました。

「麦茶なんか変!甘い!」

私がそう言うと。

母はふっと笑いました。

 

何?

なんで笑うの?

と思っていると。

「麦茶、変わったんよ」と。

「味が違うって、言うと思った」と。

 

麦茶なんて、どれを飲んでも同じ、と思われるかもしれません。

事実、私以外の家族が飲んでも、誰も気づきません。

でも、メーカーによって、値段によって、微妙に味が違うんです。


こだわりの麦茶

 

実は、以前にも麦茶が変わったことで、ひと騒動ありまして。

どうしても、お気に入りの麦茶が手に入らなくて。

少し安い麦茶に変わったのです。

 

その時、いつもと同じ出し方では、まったく味がしなくて。

不味くて、飲めなかったのです。

そこで私は、「もっと濃く出して!」と母に要求。

母は試行錯誤を繰り返し、ようやく私の好みの味が出せるようになっていました。

 

それから約1年。

お気に入りの麦茶が手に入るようになったのですが、つい安い麦茶の出し方と同じ出し方をしてしまったとのこと。

私が「甘い」と感じたのは、出し過ぎた濃い麦茶だったようです。

次の日は、きちんと袋に書かれた通りの出し方で、違和感なくおいしい麦茶になりました。


味覚過敏は結構大きな問題

 

味覚過敏で、誰も気づかないような微妙な味の違いに気が付く。

そのせいで、同じ食べ物でも、メーカーや値段によって、食べられたり食べられなかったりする。

それは、外から見れば、単なるわがままにしか見えないかもしれません。

しかし、本人にとっては大きな違いなのです。

 

まるで、見た目は良く似ているけれど、まったく違うものであるブロッコリーとカリフラワーみたいな感じ。

(伝わるかなぁ?)



これだけ、食べ物や飲み物の味の違いが分かるんだから、その能力を生かせる仕事に就ければいいんだけどなぁ…。

ソムリエとか。

なかなか上手くいかないもんですね…。

好き嫌いの線引きの謎

食べ物の好き嫌い

 

私は、食べ物の好き嫌いが結構多いです。

食感が嫌だったり。

匂いが嫌だったり。

理由は様々です。

 

分類の謎

 

あれこれ、嫌いなものと食べられるものを順番に挙げていくと。

食べ物の好き嫌いの分類が分からない、とよく言われます。

 

たとえば。

私は、かつ丼やたまご丼、親子丼が苦手です。

しかし、海鮮丼やうな丼は食べられます。

 

何が違うのか。

それは、具材の下にある白飯が、汁に浸っているか浸っていないか、の差です。

かつ丼やたまご丼、親子丼は、汁だくで。

白飯のほとんどが、汁に侵されています。

 

それに対して、海鮮丼やうな丼は、白飯の部分が多い。

ほとんどの部分が、白飯としてのこっています。

この、白飯として残っている部分が、大事なのです。

 

味の濃さと食感の問題

 

白飯が汁に浸っていると、食べている間に味がくどくなってきて。

半分も食べたころには、気分が悪くなってきます。

白飯が汁に浸っている時間が延びるほど、ご飯の食感が悪くなります。

それも、気持ちが悪い理由です。

 

しかし、おかゆやリゾットは食べられます。

水で膨れているご飯でも、平気です。

何が違うのかよくわかりませんが…。

おかゆは、飽きの来ない味であることは間違いないかな…。

 

そして、白飯でないと嫌だ!と言うわけでもありません。

混ぜ込みご飯は好きです。

ゆかりごはんとか、ふりかけご飯とか。

炊き込みご飯も好きです。

 

カレーは、食べられます。

むしろ、大好きです。

ドリアも好きです。

 

他人にはわからない

 

自分の中では、「これはOKでこれはNG」というのははっきりわかっています。

しかし、他人から見ると、どうもよくわからない分類に思われるようで…。

なかなか、理解してもらえません。

 

なので、食べ物の好き嫌いを説明するたびに、「難しいな!」と言われてしまいます。