kaleidoscope

自閉症スペクトラム障害、ADHD、うつ病を抱える如月の万華鏡のような頭の中を、書き連ねていきます。わわわアールブリュット作家。

高校の授業と塾通い

高校の授業と塾通い

 

高校では、授業の内容が、中学とは格段に違いました。

あまりのスピードと内容のむずかしさに、だんだん授業についていけなくなりました。

特に、1年生の時は、数学は先生との相性が悪かったこともあり。

全く分かりませんでした。

他の子たちも、「数学の先生の説明が悪すぎる!先生を変えてくれ!」と担任に詰め寄ったくらい。

(このあたりが、頭のいい子たちが集まってるなって思う。普通、先生変えてなんて言わないよね・笑)

周りの子でさえわからないのだから、私にわかるわけがありません。

そのため、数学のテストでは200点満点の60点あたりを取っていました。

(200点満点なので、60点で赤点です)

 

前後の式のつながりが理解できない

 

私は、数学の式をきっちり全部書いてもらわないと、どうして前の式から次の式が出てくるのかが、わかりません。

ロボットアニメなんかの変形シーンがありますが、その変形前と変形後だけを見せられても、どうつながっているのかが分からないのです。

変形途中を順を追って教えてほしいのです。

ここで、かなり躓きました。

しかし、みんなが分からなくて悩むところは、私には簡単すぎて。

逆に、みんなが分かることが、私だけわからないのです。

これには、困りました。


覚えられない

 

他の授業も難しく。

英語の授業もダメダメでした。

毎週、単語テストがあるのですが。

その単語も覚えられず。

長文読解はまだしも、オーラルコミュニケーション(文法などの勉強)なんて、壊滅的で。

先生からは、「覚えようと努力しているか?」と聞かれること多数。

どんなに頑張っても、頭に入らないときは入らないのです。

そして、日本語のコミュニケーションでさえメチャクチャなのに、英語のコミュニケーションルールを学ぶなんて、無理な話です(苦笑)

 

意図が読み取れない

 

あと、国語の現代文は、まったくわかりませんでした。

文章は読めますし、意味も理解できます。

しかし、作者が何を意図しているのか?と聞かれても、全く分かりませんでした。

ただ、古典と漢文は割と点数が良かったです。

漢文なんて、ルールがきっちり決まっているので、それ通りに読んでいけばいいからです。

私は、白文(返り点をつけていない漢文)も、自力で返り点が付けられるようになっていきました。

 

カタカナがダメ

 

政治経済や、生物、日本史などの、覚えれば解けるような教科はそれなりの点数を取っていました。

ただ、世界史は、カタカナの名前が沢山出てくるので、全く覚えられませんでした。

 

授業が分からない、集中できない

 

そんな状態だったので、授業中は先生が何を言っているのか分からず、ぼんやりしていることが多かったです。

そして、テストの答えの解説の時に、先生が「ここは授業で説明したけど」と言ったことも、時々聞いた覚えのないことがありました。

友達に聞くと、「先生言ってたよ」というのです。

今から考えると。

私が、自分の世界に入り込んで、ぼんやりしていて聞いていたかったか。

もしかすると、てんかんの発作で一時的に意識が飛んでいたのかもしれません。

 

あまりに数学や英語の点数が悪いので。

私は塾に行くことになりました。


塾通い

 

私は、クラスで授業をする形式の塾はいやでした。

なぜなら、塾でまで友達づきあいをしなければならなくなるからです。

それと、学校の授業が分からないのに、塾でも授業形式でされると、塾の授業も理解できないと思ったからです。

そして、みんなが分かるところが分からなくて。

みんなが分からないところが分かるんだから、授業形式では意味がないと、もう分かっていたからです。



なので、近所の塾で、2人の生徒に1人の先生がついて指導する方式のところを選び。

本当は中学生までが対象でしたが、頼み込んで高校生の私も受け入れてもらいました。

私の前にも一人、高校生がいました。

私の後は、数人の高校生が入りました。

中学の同級生の女の子とも、一緒に授業を受けたことがあります。

 

2人の生徒に1人の先生がつくので、学校の宿題などを中心に勉強しました。

分からないところは徹底的に教えてくれました。

それで、大分助かりましたが。

数学だけはやはり、式と式の「間」が分からず、先生も私を持て余す状態でした。

 

どこがわからないのかがわからない

 

そして、一番困ったのが。

「どこがわからんの?」と聞かれても、「全部」としか答えられないことでした。

私は、「どこが分からないかが、分からない」状態だったのです。

だから、分からないから教えて、ということもできなかったです。

 

これは、今になってもそうです。

仕事で分からないところが出てきても、どこが分からないのかが分からないので、自分から聞くことが難しいのです。

だから、一つずつ、「ここは分かる?じゃぁ次は?」という風に、順番に確認してもらわないと、問題点が分からないのです。

 

こんな状態だったので、高校では、勉強でずいぶん苦労しました。

成績も、底辺のあたりでした。

医大病院に行くのを応援された?(通院)

医大病院の初診まであとちょっと

 

昨日は、メンタルクリニックの定期受診日でした。

いつものように朝イチで診察券を出しに行くと、9時40分には戻ってください、とのこと。

一旦帰宅して、ちょこっとやること済ませて、病院に戻りました。

 

新患さんが多い時期

 

病院に戻って、3人待ち。

受付の電話が次々と鳴っていました。

新患さんが多いらしく、予約が1か月待ちらしい…(;^_^A

時期が時期だから、仕方ない。

4月、5月はみんなしんどくなって、新患さんが増える時期なのです。

で、薬とかの関係で待てない人を、別の病院に案内していました。

大変だなぁ…。

 

待合で

 

待っている間、大声で独り言をいうおじさんが隣にいて。

うるさいなーと思っていました。

独り言と言っても、病的な独り言じゃなくて、普通の独り言だと思われます。

 

診察

 

診察室に呼ばれて、いつものように絵のコピーと、気分表を提出。

今回は、でこぼこれたー第4号も提出しました。

 

まず、絵を見る先生。

今回提出したのは、「サンピラー」と「かぶと」。

それを見ながら先生が何やら言っていたけれど、待合で声の大きなおじさんと、いつも2人組で来てうるさいおばさんたちが話はじめて。

すごくうるさくて気が散る。

 

続いて、先生がでこぼこれたー4号をじっくり見ていました。

写真の場所とか、化粧品の話とかして。

質問チャートを見ながら、「そうか、こういう風に考えてるんか…」と。

私が「普通の人は無意識にやってるんやと思う」言うと。

先生が「うーん、そうかもなぁ…こんな細かいとこまで考えてないと思う。この表が作れるのがすごい。逆に言うと、それだけ大変ってことやね…」と。

もりちゃんのおかげで、また一つ先生に大変さが伝わりました(*´ω`*)

 

待合ではお静かに

 

でこぼこれたーを見ていたときに、待合のおじさんの声がどんどん大きくなってきて。

先生が「ホンマに声大きいなぁ…」と言ったので。

「あのおじさん、うるさい」と言うと、先生が「一人暮らしで、家でしゃべる人おらんのよ…だからここでよくしゃべる」と。

しばらく放っておいたのですが、どんどんヒートアップするおじさん。

ついに、先生が受付のお姉さんを呼んで、おじさんに静かにするよう伝えました。

おじさん、怒られたー(笑)

病院では静かにしましょうって、教わらなかったのかなー?

 

気分表の解読

 

ようやく気分表の解読に取り掛かりました。

左手の指をハサミで切ってしまったことに気づかなかった、という話をして。

「その時も意識飛んでたかもね」って言われたので。

「というよりも、左手がしびれてて感覚がおかしい。指があることもわかってたし、見えてたのに切ったことに気づかなかった。だいぶん経ってからけっこうざっくり切れてることに気づいた」と言うと。

先生が真剣な顔になって、「それはやっぱり、ちゃんと医大で診てもらった方がいいかも…」と。

 だから、前からそういうてますやん(;^ω^)

 

医大に行けば、脳波は確実に取るやろうし、そのほかの検査も詳しくしてくれると思う。1日では終わらんと思うけど…」と。

もとより、その覚悟でございます(;´・ω・)

ついでに、「入院になるけど、寝てる間の脳波も診てもらった方がいいかもね」とのことでした。

 

ついでに、最近ツイッターでちょっと盛り上がった「怪盗キッドのIQが400あるのは、どうやってはかったのか」という話について、先生も「謎やな」と言っていました(笑)

 だって、WAISでは確か最高は160で、それ以上は測定不可能になるはず。

そもそも、あの快斗(キッド)が落ち着いてWAISを受けられるんだろうか?

問題をちらっと見て、全部ばーっと答えて正解して終わらせちゃうんじゃない?

っていう話をしていたのです(笑)

 

そんなどうでもいい話もして。

19日が医大の初診なので、「頑張って行ってきてね。何かとっかかりがつかめればいいんやけど…」ということで。

診察が終了しました。

 

ドキドキ

 

さてさて、どんな流れになるのやら。

 医大神経内科の受診、ドキドキです。

 

発達障害マガジン『でこぼこれたー』 第4号公開!

お待たせいたしました、でこぼこれたーの第4号が完成いたしましたので、お知らせします。

 

↓表紙

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関西のとある場所。

ラピュタの場所としてちょっと有名です。

 

↓目次

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↓お化粧やお肌の手入れのこと

 もりちゃんバージョン

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如月バージョン

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↓質問や相談って難しいよね…

 

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↓お楽しみ、4コマページ

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↓奥付

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↓PDF版

 

docs.com

 

どうぞご自由に印刷して、配布するなり押し付けるなりお使いください(*^^)v

 

夏の体調管理など、暑い夏を乗り切るアイデア募集中です!

 

どうぞご自由に印刷して、配布するなり押し付けるなりお使いください(*^^)v

 

夏の体調管理など、暑い夏を乗り切るアイデア募集中です!

高校2年生

2年生に進級

 

修学旅行も終え、私は高校2年生になりました。

1年生で大学の進路をだいたい決め(理系か文系か)。

2年生からは、普通科の中でも、文系2クラス、理系2クラスに分かれました。

私は数学が全くできませんでしたし、大学では歴史を学びたいと思っていたので、文系を選択しました。

本当は、天文学とか古生物学とかもやりたかったけど、どちらも数学が必要です。

なので、あきらめました。

 

勉強についていけない…

 

2年生になり、授業はますますスピードが上がりました。

なぜなら、3年生になったら、もう授業は予備校と同じ状態になるからです。

だから、ほとんどの授業は、3年間で習う分を2年と少しで習い終えます。

私はどんどんついていけなくなりました。

 

宿題も多く、出された宿題は、学校の休憩時間にやっていました。

部活が忙しく、家に帰ったら疲れ果てて勉強どころではなかったからです。

学校で宿題をしていたら、前の席の男の子に、「休憩時間、いつも勉強してるよなぁ」って言われたことがあります(笑)

休憩時間に、他の子と話したりするよりも、こうして時間を無駄なく使いたかったから、というのも一つの理由でした。

一人ぽつんと席に座ってぼーっとしていたら、明らかに「あの子浮いてる」と思われますが、勉強してたらそう思われることもありません。

勉強していても、誰も不思議には思いません。

なにせ、進学校ですから。

本当に、そういう点では助かりました。

 

人間関係の問題が決定的に

 

1年の時に仲良くしていた子も、同じクラスになりました。

そして、その子が部活で仲のいい子も、同じクラスになりました。

最初は、3人で話したり、ご飯を食べたりしていました。

でも、私はその新しい友達になじめなかった。

というより、そのころの私はまだ、1対1での人付き合いしかできませんでした。

それか、大人数でいて、私が話さなくてもいい状況でないと、ダメでした。

 

しばらくして、友達の友達は、私たちから離れていきました。

 

今から思うと、2人には、すごく悪いことをしたなぁと思うのです。

でも、当時は私も、クラスで孤立しないように、必死で友達にしがみついていたのです。

本当に、悪気はありませんでした。

 

学校では、孤立することは悪いことのように教えられます。

だから、みんなと同じように、仲間と一緒にいなければならないと思っていました。

仲間に入れないのは、自分が悪いのだ、と。

今なら、別に気の合う人がいないなら、孤立してもかまわないや~、と思うのですが。

中学でイジメにあった経験から、孤立だけは避けないといけない、と思い込んでいました。


文化祭

 

この年の文化祭は、1センチ角の色紙を巨大な紙に沢山貼って、先生の顔写真を再現するという出し物をしました。

この作業は楽しかった。

細かい作業だけど、淡々と、隅から順番に色紙を貼って行けばいいから。
休憩時間の間中、ずっとやっていたので、一人一枚・B4サイズのノルマを、一番に仕上げました。

 

シックハウス症候群事件

 

この年、私たち2年生の校舎は、改装工事をしました。

そのため、夏休み明けの教室は、塗料のにおいなどが充満し。

シックハウス症候群になる子が出てきました。

私も、毎日塗料のにおいで頭が痛かった。

学校に来られなくなる子も出てきたので、学校が調査をしました。

すると、ホルムアルデヒドは基準値内だったものの、他の化学物質が基準値を大きく超えていて。

それをおさえる塗装をやり直し。

そして、風抜きをするために、3か月ほど、空き教室に移ることになりました。

あの時はホント大変だったなぁ…(苦笑)

 

マラソン大会

 

11月頃には、マラソン大会がありました。

結構離れたところにある、陸上競技場の周りを、走ります。

3キロだったかな、道路を走りました。

私は持久走が割と得意で。

運動部の子たちをどんどん抜かして、結構早いうちにゴールしていました。

吹奏楽部の子たちは、私と同じくらいに沢山到着していて。

運動部よりも、吹奏楽部のほうが、マラソンには強かった(笑)

模試の嵐

 

2年生も後半になると。

模試の嵐が始まりました。

土曜日や日曜日に、学年全体で模試を受けます。

そのため、受けたい大学、気になる大学を、あらかじめ調べさせられました。

私は、候補として、「防衛大学校」や「京都女子大学」、「関西大学」などを書いていました。

どれも、よくてD判定でした(笑)

京女と関大は、歴史で選び。

防衛大は、自衛隊にも興味があったので、書いたのでした。

実際には、防大は、女子の入学は東大よりもむずかしいのです。



こうして、高校2年生は、あっという間に過ぎていきました。

中学3年生

中学3年生になった

 

無事、3年生になりました。

またクラス替えがあり。

私は、3年4組でした。

先生は、女性の先生で。

先生自身も、吹奏楽経験者だという先生に当たりました。

この先生とは、相性が良かったです。

 

一番楽しい1年だった

 

友達も、仲のいい子と同じクラスになり。

そして、とっても穏やかな、体格の良い女子とも仲良くなりました。

この時のクラスが、中学時代では一番楽しかったように思います。

 

ADHDの特性で怒られる

 

中学3年の参観日。

私は、家に帰ってから母に、「なんであんたは落ち着いてじっと座ってられへんの!みんなはちゃんと座ってるのに、一人だけガサガサして!」と怒られました。

私は「ちゃんと座ってる!」と言いました。

そのあたりは、メンタルクリニックでも聞かれました。

ADHDの診断が出ています。

いまだに、じっと座っていることができず、座りなおしたり、動き回ったり、一人でガサガサしています。

 

進路の話

 

中学3年になると、高校進学の話がちらほらと出てきます。

テストの結果も、学年での順位とクラスでの順位が、個人に渡されるようになりました。

私の成績は、中の上か、上の下くらいで。

数学以外は、割と成績の良い方でした。

その順位には、学内偏差値も載せられていました。

 

周りの子に偏差値を聞かれた私は、書かれていた数字を答えました。

周りの子が、すっと引きました。

私は、偏差値の意味があまりよくわかっていなかったのと、自分が普通だと思っていたのですが。

周りの子の数値を聞くと、私より低くて。

その子たちは、40代でした。

私は、60を超えていたと思います。

 

だから、進路指導の時も、先生が、「○○(本名)さんなら、T高校(県下トップの公立進学校)でも受かるでしょう」と言っていました。

母が「滑り止めを受けたほうがいいでしょうか?」と聞いても、「いらないと思いますよ」と言われました。

また、「T高校に入って、勉強についていけるでしょうか?」と聞いた時も、「この成績なら大丈夫だと思います」と言われました。

 

まぁ、現実そううまくはいかなかったんですけども…。

それはまた、高校時代の項目に詳しく。

 

中学3年生でピクニック

遊べるのも今のうち!と、中学3年生にもなって、授業の一環として、向かい側のお城の公園で、ピクニックをしました。

お昼休憩にお弁当を持って出かけ。

そのあとの自由時間は、その公園で遊びました。

私は仲のいい子たちと、制服のスカートのまま木登りをしていました。

男子でさえ木登りしなかったのに(笑)

国語の先生と、体育の先生が寄ってきて、「あんたら、えらいことしとるなぁ」って笑ってみていました(;^ω^)

最後に集合して、先生が言った言葉は。

「みんな上手に遊べました!」でした…。

中学3年生にもなって、上手に遊べましたはないだろ!幼稚園児じゃないんだから!とみんなで笑いました。


遠足

 

中学3年では、修学旅行に向けて、遠足も地元の遊園地に行きました。

遊園地と言っても、ちゃちいもので、遊園地と呼べるかどうかも怪しいような規模ですけど(笑)

そこで、班別行動になっていたけど、他のクラスの仲の良い子と合流して、遊びました。

すごく楽しかったです。


修学旅行

 

中学3年といえば、修学旅行です。

修学旅行は、東京へ!

地元の駅から出発し、新幹線に乗り、一日目はディズニーランドへ!

時間は短かったけど、ディズニーすっごい楽しかった!!

そして、その日はディズニーランドのすぐそばのホテルに泊まりました。

朝ごはんは、ナイフとフォークで食べました。

一応、マナー講習ということらしいです(笑)

 

二日目は、バスに乗って東京見学でした。

東京タワーも見ました。

国会議事堂も見学しました。

そのあとは、横浜へ!

横浜の中華街で、グループごとに放し飼いにされ。

ここでも、他のクラスの仲のいい子と合流して遊んでいました。

そして、山下公園に集合し。

氷川丸も見ることができました。

 

そこからまたバスに乗り、その日のうちに富士山のふもとへ。

夕方、もう暗くなった樹海の中の道を通るのは、ちょっと怖かったです。

そして、河口湖畔のホテルに、泊まりました。

この晩から、体調を崩し。

友達に、風邪薬を分けてもらって飲みました。

 

次の日は、バスで富士山の5合目に登りました。

あいにくの雨時々曇りの空模様で。

富士山のてっぺんは、見えませんでした。

5合目も霧だらけで。

とても寒かった。

そして、先生が、ぱんぱんに膨らんだポテトチップの袋を見せてくれました。

気圧の差を、体感しました。

 

そこから下山し、帰路につきました。

帰りも新幹線に乗り。

大阪駅から、地元の駅へ。

大阪駅に着いた頃から、体調が悪化し、喉が痛くてたまらなくて。

先生に、新幹線以外の電車では「お菓子禁止!」と言われていましたが、こっそり飴を食べていました。

何とか学校までたどり着き。

家に帰りました。

その時点で、めちゃくちゃ頭が痛くて、死にそうでした。

 

体力がない

 

修学旅行から帰った次の日から、風邪で寝込む羽目に…。

しかも、休日だったので、急患センターに行くことになってしまいました。

結局、風邪をこじらせ、気管支炎で一週間学校を休み。

あの時は、咳で窒息死するかと思った…。

大分、体力的に無理があったようです(苦笑)

 

今でも、旅行は体力を使い果たします。

どんなに元気なときに旅行しても、確実に体調を崩します。

行きたいところはたくさんあるのに、体調を崩すことを思うと、出かけられません。


高校受験

 

それ以後は、もう受験に向けてまっしぐら。

このころ、祖父が認知症で手におえない状態になっていて。

家の中は、めちゃくちゃになっていました。

私も、精神的にかなり追いつめられていました。

 

そんな中、私は無事中学校を卒業し。

そして、高校の入試を受け。

無事合格しました。

T高校一本だったので、合格発表はかなり緊張しました。

後々、母が「あの時の家の状態で、よく高校合格したなって思うよ」と言ってました。

 

仲の良かった子たちとは、高校が別になり。

他にも数名、同じ高校に進学しましたが、私は友達がいない状態で、高校へ進学することになりました。


中学卒業

 

こうして、私の中学生活は終わりました。

中学1年のときは苦しかったけど、最終的にはまぁまぁ楽しい中学生活でした。

中学生・部活

部活での経験

 

中学校に入って、私はクラブ活動に参加しました。

帰宅部も許される学校でしたが、友達が入部した家庭科部に、私も入部しました。

物を作ることは得意だったし、一週間に一回の部活だったので、苦にはなりませんでした。

 

吹奏楽部に入部

 

友達とけんかしたこともあり、私はその部をやめました。

そして、新しく友達になった子が入っていた、吹奏楽部に入部しました。

これが、私の人生のターニングポイントにもなりました。

 

2年生からの途中入部は、普通なら結構厳しいものがありますが。

私はもともとピアノを習っていて、楽譜が読めました。

そして、一番仲のいい友達が、パーカッション(打楽器)だったので、私がパーカッションを希望したこともあり。

すんなり、部活になじみました。

パーカッションは、ある程度はすぐ演奏できます。

※決して、簡単なわけではありません。楽器の中では一番難しいと言われています。

 でも、叩けば音が鳴る、ということで、音を出すだけならすぐできます。

 

最初は、1年生の入部者と一緒に、小物楽器と、鍵盤楽器から入りました。

私は、鍵盤楽器が得意でした。

ピアノと同じですから、叩き方さえコツをつかめば、あとは練習あるのみです。

そして、一つ上の先輩が引退する頃には、ドラムセットや、スネアドラム、ティンパニー等も習得しました。

もともとリズム感が良い私には、打楽器が合っていました。

 

はじめての本番

 

入部して初めての舞台は、学校の体育館でした。

カナダからの交換留学生の歓迎行事での演奏で。

マイケル・ジャクソンの「ヒール・ザ・ワールド」を演奏しました。

この時は、マイケルの曲だなんて知らなかった(笑)

でも、曲は好きでした。

担当したのは、グロッケン(鉄琴)でした。

 

次々に訪れる本番

 

その次が、「社会を明るくする運動」のパレードでした。

マーチング用の楽器を使い、歩きながら演奏しました。

この時も、グロッケンでした。

これから後も、私はグロッケンが一番相性の良い楽器となります。

 

吹奏楽コンクールに出場

 

コンクールにも出場しました。

そのため、夏休みも毎日練習に行きました。

2年生では、サン・サーンスの、「動物の謝肉祭」で出場。

私は、ティンパニを担当しました。

結果は、銀賞でした。

吹奏楽コンクールでは、金賞が3つあります。そのうち2つが県代表。もう一つはタダの金賞で、通称「ダメ金」。銀賞・銅賞もいくつかあり、必ずどれかの賞になります。)

 

はじめての大舞台。

凄く緊張しましたが、私は舞台の魔物に魅了されました。

これは、舞台に立ったことがある人にしか分からない魅力です。

一度舞台に立つと、もうやめられませんね(笑)

 

定期演奏会

 

次は、定期演奏会

いろんな曲を演奏しました。

ピアノも、弾きました。

 

アンサンブルコンテスト

 

冬には、アンサンブルコンテストに出場。

金管5重奏とか、クラリネット7重奏とか、小さなグループで演奏するコンテストです。

私たちは、打楽器4重奏で、「For Four(フォー フォー・四つの楽器のために)」を演奏しました。

打楽器4重奏は、すごく楽しかった!

 

卒業式

 

そして、卒業式。

吹奏楽部は、入退場時に毎年演奏します。

その時、キロロの「未来へ」で、私は初めてドラムを担当しました。

一度に沢山のことをこなすのが苦手なのに、なぜかドラムは演奏できました。

両手両足、すべてばらばらの動きをしているのに。

逆に、両手両足が協調運動をすることが苦手だったから、簡単に別々の動きができたのかも…。


引き続き、吹奏楽部に

 

そして、私は3年生になっても、吹奏楽部に所属しました。

入学式でも演奏し。

 

コンクールにも出場。

バッカスの行列」で、ティンパニを担当しました。

もう、舞台慣れしていました。

そして、この年は金賞を取りました!

ダメ金でしたが、しばらく金賞を取れていなかったので、快挙でした。

 

そして、次は定期演奏会です。

ここで、3年生は引退します。

演奏が終わって、最後に後輩たちから花束をもらい。

外で記念撮影をしました。

 

こうして、部活に明け暮れる生活は、終わりました。


吹奏楽部に入ってよかった

 

私は、吹奏楽部に入って、クラスを超えた友達ができました。

同じ目標に向かって、努力する仲間が、できました。

吹奏楽部は、文化部に分類されますが、基本運動部です(笑)

そして、みんなで協力して演奏するイメージからか、協調性が求められると思われがちですが。

結構、個人主義です。

個人の演奏がきちんとできていなければ、合奏なんてできないからです。

そして、実力主義です。

実力がないと、先輩でも蹴落とされます。

まぁ、中学生の間は、先輩のほうが上手いのが普通ですから、あまりそういうことはありませんが。

 

普段は個人個人勝手にやってる。

でも、合奏のときは力を合わせる。

だから、協調性の少ない私にも、向いていたのかもしれません。

打楽器は、基本ソロですし(笑)



吹奏楽生活は、大学まで続きます。

絵の新作「くじらのとけい」完成!

絵の新作「くじらのとけい」が完成しました!

 

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時計は、ちゃんと「九時」です(笑)

 

↓線画

 

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↓完成

 

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周りがちょっと寂しい気もしますが、何も描かない方がいいかなと判断して、白いまま置いています。

 

つぎはまた、白黒細密画を描く予定です!